大井川通信

大井川あたりの事ども

仏壇のゆくえ

旧玉乃井旅館の安部さんの書庫には、亡き友人のためのコーナーがある。その小さな書棚には、考古学を専攻していたという安部さんの親しい友人亀井さんの形見の本が並んでいるのだが、僕は以前から、その薄暗い一角が仏壇のように思えていた。

仏壇というのは、亡き人の位牌があって、毎日の生活の中で故人を忍び、故人と向き合うための装置だろう。もちろん遺影が何より故人を忍ぶよすがとなるが、本好きにとっては、その人の趣味が反映された蔵書というものは、人格を彷彿とさせるものだ。

昨年、母親が亡くなり、実家を引き払う話が出た時、仏壇をどうするかということになった。僕が引き取るように頼まれたりもしたのだが、結局は姉の家に落ち着くことになる。

両親が亡くなって、親不孝で器量の小さい僕にも、ようやく両親への感謝の気持ちが強くなった。それで、父親の蔵書を運んだりして、仏壇替わりの両親のコーナーを作ろうと考えていた。それで今日、ようやくそれを形にできた。

本体は書棚ではなく、キッチンで、レンジや炊飯窯を載せていたラックの再利用だ。やや汚れてはいるが、白いスチール製で明るい感じ。

上段には、萩原朔太郎中原中也の全集の何冊か。中段には、漱石の猫や荷風の濹東奇譚や中島敦など。母親の遺影と手造りの小物も並べる。下段には、父親が好きだった弥勒仏の頭部のレプリカ。父親が昭和20年代に描いた若き叔父の横顔のデッサン。実家の玄関で40年間風雪に耐えた木製の表札。

このラックを、両親を泊めたこともある二階の明るい畳の部屋に設置する。予想したとおり、自然と手を合わせる気持ちとなった。両親もきっと喜んでいてくれるだろう。