大井川通信

大井川あたりの事ども

「日本の住まいは腰から下の空間がとても豊かだ」

村瀬孝生さんの『ぼけてもいいよ』(2006)から。

近年の日本の住まいは、欧米のまねをして、ダイニングテーブルの高さからしつらえが始まり腰から下の空間が忘れられている、と村瀬さんはいう。もともと日本の住まいは、座面からしつらえが始まり、そこから豊かで自由は空間が広がっているのだ。

二本足で立って歩き、椅子に座る生活が基準になると、床に座り込んだり、寝転がったりしているお年寄りたちが「非人間的」に見えると、村瀬さん。同じようにふるまう幼児たちも、まだ完全に人間にはなっていない半人前の存在ということになるかもしれない。犬や猫にいたってはいうまでもなく。

一方、床を座面とする空間は、すべてを包み込む。大人も、子どもも幼児も、お年寄りも、犬や猫も、混沌と入り乱れて生活する。そこから抜け出すときには、「どっこいしょ」と掛け声をかけて気合を入れないといけない。

僕も新しい家に移ったときは、ダイニングテーブルにスリッパの生活を始めてみたものの、いつのまにかリビングにも低いテーブルやこたつを入れて、座ったり、横になったりして暮らすようになった。

何年か前に、右足首を骨折したとき、はじめは室内に松葉づえを持ち込んで、外と同じように生活しようとした。それだとまず立ち上がるのが一苦労だし、室内だと杖がかさばって、取り回しが難しい。

這えばいいんだ、と気づいたとき、コロンブスの卵みたいな驚きがあったのを覚えている。使えない足は引きずって這って移動し、必要なときだけに家具にしがみついて立ち上がればいい。とても楽で、自然だった。

そういえば、ほうほうのていで逃げる、という時の「ほうほう」とは「這う這う」のことだった。日本人にとって、「這う」とは、とっさの時に出てくる、頼りになる動作だったのかもしれない。