大井川通信

大井川あたりの事ども

一芸に秀でる

講演で、ある芸人の話を聞いた。これが、「壊滅的に」つまらない話だった。なんというか、まるで引き込まれないというか、内容も面白くなければ、話術もなっていない。

そんな彼がなぜ講演の講師を務めているかというと、漫才師がまるで売れないために、やっている副業のためだった。もともと大学院の博士課程を修了しているので、大学の講師をやったり、新聞の書評委員を引き受けたりもしている。日本語や表現の研究が専門のようだし、オタク系のサブカル方面にも造詣が深いようだから、それなりに器用にこなしているのかもしれない。

しかし、文化人としての需要があるのは、彼の本業が芸人という立ち位置の面白さのためだろう。研究者や文化人としての実力だけで見たら、とても人前で話すようなレベルではないはずだ。

辛辣な言い方になるが、芸人としても、学者としても、それぞれ三流の存在でしかないのだ。とはいっても、芸人かつ学者という存在は、唯一無二であるにちがいない。彼に注目したり、仕事を依頼した側は、そのかけ合わせの効果を望んでのことだろう。芸人というからには、いかにもそんなハイブリッドなミラクルを起こしてくれそうな気がする。僕にもそんな期待があった。

ところが演台に立った彼は、学者然として、基本的な知識や観点を説明するばかりで、その語りや振る舞いには、芸人の片りんも見えなかった。午前中は大学で講義をしていたという彼は、よく見ると、長身でそこそこのイケメン、着こなしもおしゃれ、というありさまで、これもまたなんとも中途半端だ。

つくづく一芸に秀でることの大切さを実感する。一芸に秀でることで、その一芸を軸にして、その他の芸や自分の経験を幅広く巻き取ることができる。そして軸足一本で、自分独自の世界をどうどうと開示することができるのだ。

それがなければ、いわば「器用貧乏」になってしまう。ちょっと言葉のニュアンスは違うけれども。