大井川通信

大井川あたりの事ども

僕が『食べる』ときは

僕は、目の前に食べ物があると、抑制がきかずに口のなかに放り込んでしまうようだ。職場の宴会の席では、ほとんどお酒を飲まないから、自分の前の料理を片付けることに専念するしかない。その様子を見ていた同僚から、冗談まじりでこんなことを言われたことがある。

あなたは、まるで誰かから料理をとられかねないみたいに周囲をにらみながら、がっついて食べているね。

昨年の母親の四十九日の食事会のときも、こんなことがあった。僕が食事の途中、席をたったあとのテーブルが話題になっていたらしい。うどんの入った小皿から伸びた麺が、真ん中のお皿を横切って、つゆの入った器に浸かっていたのだ。そのくらいの勢いであわてて食べていたということだろう。ふだんは真面目な従兄が、それを発見して面白がり、携帯で写真に撮っていたそうだ。

僕が生まれ育った60年代は、まだ社会が全体に貧しい時代だった。その中でも、実家はずいぶん質素な暮らしをしていた方だったと思う。毎日のおかずは定番のローテーションだったし、外食の機会はめったになかった。親のしつけもあったと思うが、僕は食べ物にはいっさい注文をつけない子どもだった。

問題なのは、その習慣や考え方が、大人になったあとでも変えられなかったことにある。今でも、美味しいかどうかより、少しでも安いものを食べる方が快感なのだ。そうした日常の反動として、宴会や食事会でのご馳走やバイキング形式での食事となると、箸がとまらなくなってしまう。普段の抑制や禁欲のタガが一気に外れてしまうのだろう。

村瀬さんの本には、お年寄りになってボケがすすむと、時間空間の見当を失って、自分本来の思いや欲望が直に飛び出してくる様子が描かれている。そうなったら、食事の席で僕がどんな風にふるまってしまうのかは、火をみるよりも明らかだ。

やれやれ。今からでも、食との関係を少しずつでも改めていくしかないだろう。