大井川通信

大井川あたりの事ども

年末の一日

晦日になってようやく時間がとれたので、小倉の黄金市場にでかける。「なんもかんもたいへん」のおじさんに年末のあいさつをするためだ。

モノレールを降りて、黄金市場の入り口に近づくと、意外なことにいつもより人通りが多い。寿司屋の前には、ビニールでくるんだ大きな鉢が重ねられており、肉やの店先では、若い人たちが総出で鶏肉を揚げている。もちろんシャッターも目立つが、年末は市場にも特別な需要があるみたいだ。

シャッターを半分だけ開けて、路上に商品をならべただけのおじさんの「店」もいつもより品ぞろえが豊富で、しめ縄も売られている。おじさんの前にしゃがんで話していると、腰の曲がったおばあさんたちの顔が、地べたの野菜をのぞきこんでくる。おじさんはすかさず声をかけるが、ふつうの店にはない距離感だ。これが商売繁盛の秘密なのかもしれない。

85歳のおじさんはあいかわらず元気そうだが、少し前にめまいがして寝込んだという。そういわれてみると、あの軽快な口上を口ずさんでいない。体調のせいでなければいいのにと思う。

市場をあとにして、国道の向かい側の町並みを歩く。明日の初詣の準備万端という感じの、妙に活気のある小社を街角に見つける。狭い境内には、達者な書体の文政4年の庚申塔もあった。このあたりは、僕が若いころ住んでいた町だ。

連続監禁殺人事件の舞台となった小さなマンションが、入居者もなく廃墟のように建っている。一回の喫茶店も閉店したままだ。路地を抜けると、僕の昔のアパートまで50メートルもないくらい。この喫茶店に入り浸った日常の思い出と、全国を震撼させた事件の記憶とが結びつかずに、やはり呆然としてしまう。

 駅前の本屋で来年の読書会の課題図書を一冊買って、今年はにぎやかな大晦日の我が家に帰る。