大井川通信

大井川あたりの事ども

蜜柑と翡翠

うつうつ、くさくさした気持ちで道を歩いていた。考えないようにしても、いつのまにか考えてしまう。考え出すと、ぐるぐると止まらなくなる。いかりやうらみつらみなどの感情がわきだして、あふれだし、のみこまれる。そのとき。

道のわきの水路のよどんだ流れの上に、突然、青いかがやきが踊りでた。青いかがやきは、水路の先へとすーっと流れていく。すると、もうひとつのかがやきが現れて、あとを追う。その青のあまりの鮮やかさに、目をうばわれ、心をうばわれた。うつうつ、くさくさした気持ちを忘れていた。

水路の側面にとまった姿を双眼鏡で確認すると、翡翠カワセミ)だ。しかも二羽。長いくちばし。短く小さな身体。紅色の腹。濃紺の羽。そして滴るような背中の青。

帰り道、ぼくはふたたび、うつうつ、くさくさした気持ちをかかえて、もはやカワセミのいないよどんだ水路の脇を歩いていた・・・

 

芥川龍之介の『蜜柑』(1919)は、汽車の中で田舎者の小娘と出会った出来事を書いた私小説風の小品である。小娘が無神経に汽車の窓をあけたために、煙でせきこんだ芥川の不快感は頂点に達する。そのとき彼女が身をのりだして見送りの弟たちに投げた蜜柑が、「心を躍らすばかり暖かな日の光に染まっている」のを見て、いいようのない疲労と倦怠とをわずかに忘れることができた、という話だ。

いい作品だけれども、蜜柑の色に心をなぐさめられるというくだりは、少し作為的であるようにも思っていた。今日、カワセミの青に出会って、芥川の驚きがよくわかった。芥川の心の動きが、なるほどと実感できた。芥川に感心するとともに、芥川を疑っていたのをちょっと申し訳ないような気持ちになった。