大井川通信

大井川あたりの事ども

怒りのゆくえ

というわけで、山家悠紀夫さんの『日本経済30年史』を読む。

80年代の前史から、バブル崩壊を経て、アベノミクスまで。僕自身が実際に生きた時代の経済の動きを、7つの期間に分けて、豊富な図表や経済指標をもとに簡潔に解説してくれて、わかりやすい。その説明ぶりは一貫した特徴がある。

この期間、さまざまに日本経済の危機がいわれて、時の政権によって構造改革が叫ばれてきた。しかしそのためになされた様々な施策は、日本経済を良くすることにつながらず、せいぜい本来の景気循環の足を引っ張ることくらいしかしていない。効果があるかに見えたと思えたものも、実際は景気循環や貿易など外部的な要因によるものにすぎないというわけだ。この冷めた視点は、とても新鮮だった。

それでは、処方箋はどうなのか。これもまた、大胆にして単純なものだ。日本経済の長期的な停滞の真因は、消費の伸び悩みにあり、その背景に賃金の伸び悩みや下落がある。また、消費性向の低下の原因は、社会保障への不安がある。賃金を大幅に引き上げて労働条件を改善し、社会保障制度を良くすれば、人々の暮らしとともに経済が好転するという処方箋である。日本経済の大元は安泰であり、それを歪めているのは分配の問題ということなのだろう。

ここには、この30年で日本経済の喫緊の課題と喧伝されたきた諸問題への関心や言及はほとんどない。企業のもうけすぎを大胆に是正し、政府が人々の暮らしに目をむけた政策をとりさえすればいいのだ。そのための正しいプログラムはある、ということらしい。これはかつて革新といわれた政治勢力の基本姿勢だ。革新系の市民運動に取り組んでいた山家さんはこの点で一貫しているのだなと思った。

あとがきで、山家さんは、国民が怒らないことにいらだっている。正義がそこにあるのに、それが実現させないという不正に怒るべきだと。

しかしどうなのだろうか。正義と怒りのプログラムは、今でこそ見る影もないが、かつてこの国で大きな勢力をなしていたのだ。日本社会の現状をもたらした責任の少なくない部分は、このプログラムとその使い手だった左翼勢力にもあるだろう。すべてを政権政党の責任に帰して、自分たちの思考や取組への批判的自己点検を怠るとしたら、若い世代への説得力をもつことはできないのではないか。