大井川通信

大井川あたりの事ども

初暦五月の中に死ぬ日あり

正岡子規(1867-1892)の明治32年新年の句。

新しいカレンダーが手元に届く。パラパラとめくると、5月あたりに自分が死ぬ日があるような気がする、という句だろう。

病床の子規にとって、これは突飛な思い付きではなくて、かなり現実的で切実な実感だったのだと思う。しかし、それに絶望して嘆くというよりも、そういう日付があるという不思議に打たれている、その事実をまんじりと見つめている感じがする。

僕も、何年も先までのカレンダーを並べた表などを見たときに、この日付のどこかに自分がこの世を去る日があるのだと思って、奇妙な気持ちになったのを覚えている。自分が死んだことを自分で確かめることができない以上、原理的に僕はその日を知ることができない。にもかかわらず、僕にとっては全く疎遠なその日が「命日」となって、僕と切り離せない日にちとして扱われるようになるのだ。

一昨年母が死んだ。姉の還暦の誕生日の前日に、突然の発作によるものだった。葬儀は隣町の小さな駅の近くの葬儀社で行った。亡くなった日付も、葬儀の場所も、生前の母にとってはあずかり知らぬ日にちであり場所だったろうと、つくづく思う。

ところで、子規の句に戻ると、5月ということにも置き換えられない意味があるような気がする。年の初めでは切迫感が強すぎる。年の後半では、すこし悠長になる。桜の季節なら、また別のロマンチックな情緒を帯びてしまうだろう。