ロックミュージシャン佐野元春(1956-)の言葉。佐野元春は、独特のキャラクターのためにテレビのバラエティ番組に呼ばれることがある。久しぶりのテレビ出演で、自身の運転中のいら立ちを抑えるために自ら作った標語を披露したものの、あまりに平凡な内容だったために、共演者の笑いを誘っていた。
佐野元春は、僕が初期からアルバムを聞き続けている唯一のミュージシャンだ。もっとも本格的に意識したのは、1980年のデビューからかなり遅れて86年くらいからだった。ロックスターとして、その人柄や才能をリスペクトしてきたが、正直なところ、その音楽や歌詞や歌唱には、ちょっと微妙なところがある。人間的にも、すこしわからないところがある。しかし、それが彼の魅力なのだろう。
街角から街角に神がいる/清らかな瞳が燃えている/光の中に/闇の中に/誰かが君のドアを叩いている (「誰かが君のドアを叩いている」 冒頭部分 1992)
もしも君が気高い孤独なら/その魂を空に広げて/雲の切れ間に/君のイナズマを/遠く遠く解き放たってやれ (「君が気高い孤独なら」 冒頭部分 2007)
それぞれとても好きな曲だが、詩だけを見ると、言葉の断片が新たなイメージを結ぶことなく連なっている感じで、ちょっととらえどころがない。
今回の標語も、本気とも冗談ともつかない佐野さんらしい発言と思って軽く聞き流していた。ところが、今日、雨の中、混雑する市街地を運転して、この標語が実用的で機能的に作られていることに気づいて驚いた。
割り込みされると、思わずムッとする。そのむかつきをターゲットにして、まずは「優しい気持ち」を発動させる。すると、むかつきのために発作的に詰めてしまった「車間距離」に意識が向いて、それを広げようという行動がうながされるのだ。
いくら車間距離が大切だとわかっていても、いらだった時にはそれを忘れてしまう。まずはアンガーコントロール、しかるのちに交通ルールというわけだ。
さすが、佐野元春。やはりただものではない。