大井川通信

大井川あたりの事ども

九太郎の誕生日

今日は、九太郎の満一歳の誕生日。

猫の誕生日がなぜわかるかというと、ブリーダーの店で生まれた猫だからだ。だから両親もわかっていて、父親のマイケルとも母親のつばきちゃんとも、何度か会っている。種類は、手足の短いマンチカンだ。

一年前までは猫を飼うことを考えてもいなかったから、ペットの事情は詳しくはないけれども、なんとなくブリーダーやペットショップというシステムには問題が多く、そこで愛玩用に特別に育てられた種類の猫を買うということが、そんなにほめられたことではないことにはうすうす気づいていた。

ただ、迷いネコの八ちゃんがてんかんで亡くなって、妻がさみしいからと猫に会いに行ったペットショップに猫が一匹もいなかったため、ネットで探した近場の店がたまたまブリーダーで、そこで出会った生後二か月の九太郎が、たまたま八ちゃんとそっくりの顔をしていたのだ。

いったん店を出て、近くでパスタを食べながら二人で作戦会議を開いたが、僕はもう九太郎を家に連れてかえる決心をしていた。八ちゃんと暮らして、神経質なところもある妻には元気のいい猫との同居は無理なことに気づかされたが、九太郎はお店の人が驚くほどおとなしくのんびり屋の猫だったのだ。

猫のことにかぎらないけれども、世の中には、本当はこうした方がより良いということがたくさんある。もちろん、僕も、良いと思うことを意識的に選択したり、人にすすめたりすることもある。様々な情報に耳を閉ざして、自分本位に生きることに開き直るのがいいとは思わない。

ただ、さまざまな種類の正しさの基準を、生活の中に持ち込むことには際限がないし、声高に一つの正義を主張する人が、目立たない大切なものを踏みつけにしていることだってあるかもしれない。

九太郎も好きでブリーダーのもとに生まれてきたわけではないだろう。もう家族になってしまった以上、あとは九太郎の気持ちを大切にして、いっしょにていねいに暮らしていくことが何より大切だろうと思う。そんな暮らしの内実は、外からはまったく見えない、評価されることのない部分だ。

九太郎の誕生日に、小さな猫用のケーキを買ってきて、家族で祝った。九太郎にはありがた迷惑かもしれないが、とにかく魚肉が成分だから美味しかったとは思う。