大井川通信

大井川あたりの事ども

「方舟大井丸」の出航(その1)

安部公房の『方舟さくら丸』を、ニュータウンと呼ばれる郊外の成立のからくりを描いた小説として読んでみた。ニュータウンが抱え込む闇の部分をいちはやく取り出しているからこそ、ニュータウンがオールドタウンと化して様々な問題が噴出している今でも、いや今だからこそ読むに耐え得る作品となっているのだろう。

だとしたら、僕が住む住宅街にも、どこかに「方舟」が隠されているのではないか。「方舟」への乗船資格のある人が存在するのではないか。

旧大井村は、里山によって挟まれた集落だ。駅側の低い方の里山は、段階的に宅地化されてすっかり住宅におおいつくされてしまっている。開発されたところには若い同世代の人が入居し、子どもたちの姿があふれるが、彼らが大人になって実家を離れると、老人たちばかりの空き家の目立つ街になっていく。

「猪鍋」のような不良少年たちの姿はすっかり消えて、「ほうき隊」のような老人たちが主役の街となりつつある。いや、夜中に街中を清掃したり、女子中学生を追い回したりするような元気な老人よりも、健康寿命が過ぎて、家で介護を受けたり、施設や病院に入ったりする老人たちが増えているのが現状だ。老人たちのための施設が街の周辺部に増えてきている。

「もぐら」はどこかに生き延びているのだろうか。リアルな世界から撤退して趣味や妄想に生きる「もぐら」は、プライバシーの確保できる住宅の個室に居場所を見出した。わざわざ地下に潜る必要はなくなったのだ。

バブルの前後には、消費社会やサブカル文化が「もぐら」たちに十分なおもちゃを与え、おもちゃに興じる彼らを「オタク」と命名する。現代では「方舟」に代わり、インターネットが彼らに電子的な要塞や迷路を提供しているだろう。