大井川通信

大井川あたりの事ども

「方舟大井丸」の出航(その2)

旧大井村で住宅街の向かいにある里山には開発の手は及んでいないが、小説の「ひばりケ丘」と同様、ミカン畑が目立っている。しかし今では採算がとれず、太陽光発電ソーラーパネルに置き換わりつつある。

しかし、この里山の地下には、かつての大井炭坑の坑道が縦横に走っているはずだ。もっとも石炭を掘るための坑道は、地下の石切り場のような堅牢な構造ではないから、もはや「方舟」として核シェルター用に使うことはできないだろう。竹藪の奥に口を開いた坑口もコンクリートにふさがれている。

小説と同様に、この旧大井炭坑の存在はすっかり忘れられていて、まして坑口の位置などを知るのは、僕とその友人くらいのものである。これでは、僕自身がまるで「もぐら」だ。

この坑口に近い里山のふもとには、「方舟」づくりをしている人物が二人いる。二人ともこのブログには、何度も登場している常連だ。

一人は、「種つむぎ村」の原田さん。旧集落の古い屋敷を借りて、ほとんど独力で改修を行い、少人数の仲間とともに、カフェやギャラリーを営んでいる。田畑も作り、子どもたちの自然体験の場をつくったりもしている。会社員を辞めたあと、長年の夢だった理想の村づくりに手をつけた。たまにのぞくと、「昆虫屋」や「サクラ」のようなくせの強い人たちが出入りしている様子だ。

もう一人は、ひろちゃんこと弘二(ひろつぐ)さん。もともと旧集落に住む高校教師だったが、今では自宅の裏山の農園で、いろんな作物を作るとともに、養鶏や養蜂も行い、ほとんど自給自足の生活を行っている。体調管理のために、山でとった薬草を自分で煎じたりしている。このあたりの徹底ぶりは、原田さんもかなわない。

原田さんは仲間づくりを重視し、ひろちゃんは単独での決行だが、二人とも、現代社会の動向に背を向けて「方舟」の出航を意識しているのはまちがいない。

考えてみれば、二人は、年齢的に僕より10歳から20歳年長の、ちょうど小説の「もぐら」たちの世代にあたる。彼らは、石切り場を放棄した後も「方舟」の建設をあきらめたわけではなかったのだ。