大井川通信

大井川あたりの事ども

ある哲学カフェにて

もう、4、5年ばかり前になるが、同じ街の古い街道沿いにあるカフェで哲学の勉強会にしばらく参加していたことがあった。

主宰は、ドイツ観念論の研究者で、予備校講師や大学講師をやりながら市民運動を続けている尊敬できる人だった。僕が参加し始めたときは、カントの平和論を読んでいて、それが終わるとヘーゲルの『法の哲学』になった。

主宰の目的は、市民運動家の交流の場をつくるということにもあったのだと思う。反原発の訴訟の当事者もいて、いろいろな行政闘争の話題も多く、僕などは少し場違いな感じもあった。ただ当時は、「大井川歩き」を始めたばかりの時で、反時代的な取組みとして自分なりの手ごたえに自信をもっていたから、平気な顔で議論に参加していたと思う。

貴重な勉強の場だったけれども、会の共通の了解事項であるような政治的な雰囲気になじめずに、自然と足が遠のくようになった。地元に十分な資産をもち、年の半分は海外暮らしをしている老人が、口をきわて日本の政治や社会をののしるような議論に、とても同調することができなかったのだ。どのような暮らしをしていようが、ある政治的意見をもつかもたないかだけが重要なのが、政治的な場所というものだろう。

その会に僕より少し年長の夫婦が参加していた。哲学や市民運動の知識などに詳しいわけではなかったので、リベラルな感覚と知的な好奇心でメンバーに加わっているようだった。奥さんの方が積極的な感じだった。

僕がその会に足が遠のいた頃、全くの偶然でだんなさんの方と仕事上でかかわりをもっようになった。そのだんなさんが、昨年夏に奥さんの看病をするために仕事をやめるという話を聞いていたが、実際の病状はわからなかった。

一昨日、突然の奥さんの訃報を聞いて、葬儀に参列した。

地元の民生委員を二期務めていたというから、地域のくらしに実直に根を持っていた人なのだろう。だんなさんや息子さんの言葉から、家族から信頼され、尊敬されていた様子がうかがえた。どんな気持ちで、あの勉強会に参加していたのだろうか。葬儀の席で、久しぶりに当時のメンバーと顔を合わせた。