大井川通信

大井川あたりの事ども

父の誕生日

父の誕生日ということで、東京の姉にメールをする。

命日というのは、降ってわいた災害みたいなもので、当人にはあずかり知らない日付だ。死ぬことによって確定する日を、あらかじめ生きているうちに知ることはできないい。それならば、生前本人が大切に思っていて、家族と共有した思い出のある誕生日の方が、ずっと重要なのではないか、と思うようになった。

1924年生まれで、生きていれば96歳。来月には亡くなって14年になる。吉本隆明と同じ年の生まれであることを、わかりやすい目印にしていたのだが、最近、安部公房の誕生日と十日ほどしか違わないことに気づいた。安部公房は、3月7日生まれ。敗戦を迎えたのが、21歳という戦中派だ。

僕が子どもの頃の大人たちは、戦中派が主役だった。彼らによって標準的な大人のイメージがつくられた。彼らが、当たり前の大人だと思っていた。しかし、今になって、戦中派がいっせいにこの世から退場してしまい、そのあとに続く焼け跡世代も現役から引退してしまった世の中を見ると、戦中派というのは、特別な経験をした特異な世代だったことがよくわかる。

戦争へと突き進む騒乱の時代に育ち、軍国主義イデオロギーのもとに多くは兵士となり、知人友人の死と国土の崩壊に立ち会い、全く新しい平和主義のイデオロギーのもとに経済の高度成長を支え、近代化の果ての消費社会を作り出すという世代の経験は、空前絶後のものといえるのではないか。

戦中派の経験について考えることが、彼らに育てられた僕の、大げさに言えば責任のようなものだと、最近考えるようになった。それは「戦争体験」を継承するということよりも、もう少し幅の広いことになるのだと思う。