大井川通信

大井川あたりの事ども

『目羅博士』再論

乱歩の『目羅博士』についてもう一言。

元ネタといわれる二編の小説を読んでみて、この模倣をテーマにした小説が、いかに模倣されたかという問題に興味を持つ人がけっこういることに気づいた。最近では、研究論文まで書かれていて、ネットで読むこともできる。

たいていは、実際の影響関係を調査に基づいて推測したり、あるいは「模倣」という概念をめぐる考察だったりして、『目羅博士』という作品のもつ独特の魅力について、正面から論じているものは見当たらない。

どんなに建物の形が似ているとしても、道のこちら側がにぎやかな旅館であって、道の反対側が人気のない古い屋敷であるという、役割がまったく違う建物同士で、こちら側とあちら側を「同じもの」と誤認させることが果たしてできるだろうか。

その屋敷には、その町で誰もが知る奇怪な名物婆さんが住んでいる。その正面で不可解な自死が行われた。真っ先に疑われるのは、その婆さんに決まっている。犯罪の実態は、人間の本性を利用した知的なトリックで証拠が残らないものでも、何か妖術を使ったと思われたおしまいだ。

19世紀の読者は『見えない眼』に別のリアリティを読み込んでいたのかもしれないが、今の読者はそれを容易に理解することはできないだろう。

目羅博士の犯罪の舞台は、オフィスが入る雑居ビルという無性格な建物が立ち並ぶ街路だ。こちらのビルとあちらのビルが全く同じオフィスビルだという相似の中で、あちらの自分とこちらの自分との取り違えがおこるのだ。

しかもそこに降り注ぐ月光の弱い光は、ビル同士の色彩やディテールの微妙な違いを消し去り、無機的な同質性を強調する。

真犯人の目羅博士は、都会の片隅でひっそりと開業する眼科医であり、彼自身、都会では匿名の存在なのだ。無機的で同質的な街路で向き合った匿名の者同士の間で、模倣という原始の力が現代の都市に回復する。

乱歩の『目羅博士』はこの消息を、あますところなく描いている。