大井川通信

大井川あたりの事ども

作文的思考と同和問題

社会人となってから、僕は東京から地方へ転居した。地方には、東京では見えなった被差別部落の解放運動があって、偶然のきっかけから、同和教育や解放運動とかかわるようになった。

そこでの経験を通じて、僕はかなりのエネルギーを使って、多くの作文を書いたけれども、あとから振り返ると、作文としては大きな進展や成果はなかったことに気づく。学生時代の焼き直し以上のものではなかった。

その理由を考えてみる。

当時の同和運動は、すでに出来上がっていて、現実を批判する方法や理論、現実変革の手法は完全にメニュー化されているものだった。当事者の運動として十分な成果をもたらしていたが、むしろ制度化の弊害や矛盾が明らかになっている時期だった。にもかかわらず、運動的な観点から、それが指摘しづらい雰囲気が強くあった。

この中で何かを考えるとしたら、運動の様々な矛盾点を指摘する方向にならざるを得ない。僕には東京での当事者運動のイメージがあったので、それを批判の根拠にすることができたが、イデオロギー批判というのは、それがたとえ正確であっても、後ろ向きで息苦しいものになりがちだ。

人は、誰かがたくみに普遍的な理想を語りながら、実際には自分(たち)の個別的な利害に基づいていることを指摘することはできる。その自己欺瞞をあばくことができる。しかし、その批判もその人間の個別的な利害から生じたものにすぎない。

僕の作文も、そうしたどうどうめぐりの罠にはまってしまっていたのだと思う。