大井川通信

大井川あたりの事ども

コロナワクチン2回目

ぴったり3週間後の同時刻に、新型コロナワクチン接種のために指定された会場に夫婦で乗り込む。前回と同じように、指定時刻よりずっと早く人が集まっており、15分前には係員からの説明が始ってしまう。

南国の人間の時間のルーズさ(いわゆる博多時間)はいったいどうなっているのか、と思う。命にかかわる危機の時には、本気をだすということだろうか。

医師や看護師のほかにもゼッケンをつけた若いスタッフが多くいて、その人たちがどういう人たちかわからないところも、ちょっと不安をあおるところがある。市役所の人かなとも思うが、説明ぶりからしても身のこなしが洗練された人がまじっているから、民間のイベント会社の人みたいでもある。

前回と同じくアレルギー反応の用心のために、接種後15分の待機があってそのあと解散となる。待機中に斜め前の椅子に、元隣人の某氏によく似た人が座った。盗撮で逮捕されて新聞報道があり、追われるように引っ越して行った人だ。声をかけるわけにもいかず、気づかれないようにそっと席を離れた。

翌日の午後になって、お約束の副反応が出だした。身体がだるく、節々が痛い。この2回の大仰な儀式を経て、多くの人たちが一安心するというのもわかる気がする。僕は自然感染以降、感染の恐怖は薄れていたが、それでも接種が終わってどこかホッとしたところがあるから。

 

長男の引っ越し

二年前の12月に、新卒で就職した会社を辞めて家に戻ってきた長男が、今日家を出て博多の賃貸マンションに越していった。いろんな感慨がある。

僕も初めの会社を3年で辞めて、実家にころがりこんだ。結局3年半ばかり実家暮らしをして家を出た。たいした親孝行はできなかったが、いっしょに暮らせるだけで親は嬉しかったのかもしれないと今は思う。

長男の場合、2年弱で実家を出て行った。ちょうどコロナ禍に重なったから、再就職の活動は出遅れたが、昨年9月には新しい会社に就職して家から1年間通勤した。大半は在宅勤務だったから、就職後も家にいる時間が多かったことになる。

再就職に関しては、本人に確たる考えがなかったので、自分の好きなこと、やりたいことを軸にするようにアドバイスしたけれども、これは結果的に間違いだった。コロナ禍でその業界の打撃が多かったことに加え、今は転職市場が大きく、そこでの仲介業者が十分頼りになったのだ。前の職歴を活かして、レアメタルを扱う時流に乗った企業にステップアップできた。もう父親の出る幕はないと思い知る。

コロナ禍で家でうつうつとしていた妻の話相手になってもらい、ずいぶん助かったところがある。極めつけは、家族の三人がコロナ感染症で家を出た時に、一人家を守って獅子奮迅の働きをしてくれたことだ。これで家族の絆がすっかり強くなった。長男も、次男を誘って休日に二人で温泉にいくようになったし、ドライバー役で妻の買い物の手伝いをすることも多くなった。

長男も、猫のいる家庭の暮らしを満喫しただろう。こんなに猫好きならば、子どもの時に飼っていてあげたらと思う。

引っ越しは、長男がワンボックスを借り、家で引っ越し荷物を積んで、次男を助手席にのせる。僕と妻とは、残りの荷物を載せた自家用車で後を追う。コインパーキングに停めた車から、長男、次男と僕で台車で何往復もして荷物を8階の部屋まで運んだ。

家族でよく遊びに来たキャナルシティの近くの新築のワンルームマンションで、住環境もスッキリしている。これなら近くて安心と妻と喜ぶ。ただ、ホテルのシングルの部屋みたいな家では落ち着かない、やはり地面と自然がなければ、というのは田舎暮らしの長い夫婦の共通の意見だった。

 

ラスト半年

定年までの半年を切った。この機会に、なかなか区切りのつかない人生に区切りをつけてみようと思っている。

三か月前に、こちらの思いとは全く関係なく、人生に区切りというか終幕がおりかけてしまった。あらゆることが中途半端なままだったが、何の言い訳も聞いてもらえずに強制終了である。生き延びたが、これが多少の猶予に過ぎないことが身に染みた。

定年という区切りで、いつ終わりが来ても納得がいくくらいの総まとめと片づけをしておこうと思ったのだ。と同時に、プレゼントされた猶予の期間に、自分らしく納得のいく生活をしてみたいとも思った。

と決意したのが、三か月前の退院前後だったが、その後体調の変化などがあって、計画通りにすすんでいない部分も多くある。これでは元の木阿弥になりかねない。幸い、気候も良くなり、残り半年というポイントを迎えることになった。長男も新生活に踏み出していく。仕切り直しにはちょうどいいタイミングだ。

持ち物の片づけ(いついなくなっても家族に迷惑をかけない程度の)は、夏の間に中断したままだ。来年3月をめどにやりきろう。

仕事については、「仕事大全」ファイルを作成したので、その中身を整備する。最近になって仕事関連の知識を振り返るために、関連の書籍を読み飛ばすことを始めた。優先順位をつけて残り半年で読めたもの以外は、すっきり整理してしまおう。

身体については、体重をかなり戻してしまった。体操についても「背骨コンディショニング」以降研究と実践ができていない。定年後の生活に耐える身体づくりをこのままさぼるわけにはいかない。

新しい仕事の準備では、今月から介護初任者研修を毎週土日に一カ月半受講するから、だいぶその気になるだろう。薬の登録販売者の12月の試験準備も毎日の日課だ。苦手な分野に手をひろげるための資格試験の予定を、そのあとに入れたい。

大井川歩きの実践・思想面も、いままでのまとめとこれからやることについて熟考しないといけない。特に遅れている絵本作りを軌道にのせる。思想面では、年明けの一月にベンヤミンについてレポートできることになったので、彼を読みつつ、自分にとって言葉や思考の意味を振り返りたい。

生活面では、保険の解約や来年以降の資金計画など、ひととおりできたところで中断している。組織にたよらずに生きていくための検討はもっと精密にやらないといけないだろう。家事や料理も手つかずのままが多いので、これも反省。

 

 

 

竹尺の謎

僕の今使っている部屋には、両親の仏壇めいたコーナーがあって、父親の蔵書だった本や実家にあった置物などを、両親の写真とともに並べている。そこにふと目をやると、一本の長い竹尺が目に入った。最後に実家を片付けたときに、懐かしくてもって帰ったものだ。

竹尺なんて言葉を、自分でも久しぶりに使った。実家では、ただ「ものさし」と呼んでいたと思う。もともとは母親の裁縫用の道具だったのだろうけれども、家族の共有財産として、僕も工作や学習で自由に使っていた。

小学校にあがってからは、学習用の短い定規は持っていたとは思うが、これは75センチあるから、長いものを計るときや長い線をひくときに、ずいぶんお世話になった記憶がある。昔の家はものを大事にしたから、僕が家をでるまで、長い物差しといえばこれ一本で、おそらくその状況はその後も半世紀続いていたことになる。

こんなふうに僕が生まれる以前から家にあり、家族全員の手になじんだ思い出の品というものは、思い返してみれば、これくらいしか残っていないだろう。あらためて大切なものだと実感する。

この物差しの特徴は、75センチの目盛りの反対側に、謎のメモリがふられていることだ。10を単位としてそれが20個分、総計200の目盛りが刻まれており、一目盛りだいたい3.8ミリくらいある。この200目盛りのために竹尺は75センチ丁度ではなく、それより8ミリ弱長いのだ。

子どもの頃親に聞いてみたと思うのだが、昔の裁縫に使う単位だと漠然と覚えているくらいで、はっきりした記憶がない。今調べて見ても、尺貫法にもこの長さの単位はない。いったい何なんだろう。

竹尺の裏には、「化粧品小間物 白鳥」と手書きの墨で書かれている。販売促進用の景品だったのだろうか。この文字には、子どものころからなじみがある。この店名「はくちょう」も、おそらくは母親から聞いて耳に残っているが、店がどこにあったのかはっきりとした記憶はない。

 

 

 

『新型コロナワクチン 本当の「真実」』 宮坂昌之 2021

8月に出版されたばかりの、免疫学者による最新の新型コロナウィルスとワクチンの解説書。題名は暴露本みたいだが、読むとおのずから、信頼できる専門家による信頼できる著作であることがわかる。

僕は自分の新型コロナウィルス感染症の治療を契機として、もっと人間の身体全般について目を離さずに生きていく方向にシフトチェンジしたいと思った。自分が体験したウィルス感染と治療、そして打ったばかりのワクチンについては、野次馬的にではなく文字通り当事者として理解したいと思っているのだ。

堅実な専門知識と最新の情報に基づく内容だけに簡単に理解を寄せ付けないところがあるが、免疫の仕組みの基礎からの解説もあって、事態のアウトラインを頭に入れることができた。

ワクチンというと、漠然と病原体本体を材料にするものとばかり思っていたが、新型コロナウイルスのワクチンは、遺伝子工学に基づく全く新しいタイプのワクチンだ。新型コロナウィルスの遺伝情報(全ゲノム配列)は解読されており、そのうち必要な一部の遺伝情報を伝えるワクチンを体内に送り込む。ここでのプロセスは複雑だが、それによってウィルスの疑似的な侵入を認識させて、体内の免疫反応を活性化させるというものだ。

ウィルス本体でなくその設計図の一部を使うだけで、免疫反応を誘うとすぐにその設計情報の痕跡は消えてしまうから、基本的に後遺症等の心配がないということになる。

そもそも遺伝子工学自体が、どこか信用できずいかがわしいという直感はきっと間違っていないと思う。しかし、実際にこれだけワクチンの効果が実証されていて、あきらかに感染の波を食い止めている現状がある以上、そしてその効果のメカニズムが一通り納得のいく形で説明されている以上、接種以外の選択肢はないだろう。実際に生死の境をさまよった人間としてそう思う。

あれだけ苦労した自然感染による免疫よりも、ワクチンで強く安定した免疫が得られるというのはちょっと残念な気がするが、あの苦しい体験を活かすためにも、ワクチン接種で免疫を最強のものにしておきたい。

終末には、ファイザー製ワクチンの2回目の接種がある。この本のおかげで、初回よりも不安なく受けることができそうだ。

 

 

ハツカネズミたちの夢の行方

スタインベックの『ハツカネズミと人間』のオンライン読書会に参加して、思うところがあった。評論系の読書会だと、自分の読みが他の参加者と全く違うなんてことは当たり前だが、小説系だとそこまでのことはない。

日本人は、理論を語ると自分勝手な方向に行きがちだが、エピソードを語るのは上手だ。かつて文芸評論家(読書感想文の専門家)が学者以上に尊敬されて、実際に深い認識を示せたのにはそれが原因だろうと、以前考えたことがある。

まして小説系の読書会には、背伸びして思想を語るというようなタイプではなく、純粋に本好きの人が集まるから、読みのレベルが高い。おのずと読みは、小説のテーマの中心にしぼりこまれていく。

ところが、今回は、読みがまったく合わなかったのだ。この小説には、農場を渡り歩かざるを得ない労働者たちの間で芽生える友情と、自分たちの土地を持ちたいという夢、つまり最下層の労働者たちの中に息づく「美しく人間的なもの」が現実によって押しつぶされる悲劇が描かれている。すくなくとも作者の中心テーマがそこにあったのは間違いないだろう。

しかし、参加者で、これに触れた人はいなかった。参加者の関心は、登場人物たちの人物像とその関係に集中する。特に知的障害のある大男のレニーについて、その障害の在り方に興味をもったり、感覚的にマイナスに感じたりする人が多かった。また相棒のジョージがレニーを手にかけてしまうことにも違和感が出された。僕には、これらの人物や人間関係は、テーマを際立たせるための道具立てにすぎないのに、本来のテーマに触れることなく現代の感覚で彼らを裁くことが不思議でしようがなかった。

しかし、読書会の参加者は、小説読みの猛者たちだ。彼ら彼女らの読みが、今の時代ではむしろ正解なのだと思い直している。ようするに、1930年代のアメリカと現代の日本とでは、根本的に「人間」が変わってしまったのだ。

何か満たされていないと感じつつも飽食の時代に生きていて、どこかに孤立をかんじながらもオンラインで日常的につながれる環境に生きている僕たちにとっては、全身的な渇望から「土地」と「友情」を求めるようなかつての人間たちは、もはや共感不能な存在でしかないのだ。むしろ、彼らの粗野でささくれだった人間性のほうが気になってしまうのだろう。

現代に生きながら、小姑のようにこんなことが気になるのは、僕がすでにこの社会で高齢者の部類に入っているからだろう。高度成長期以前の貧しい社会を知っているかどうかはやはり大きい。そしてもう一つ。これも完全に過去の存在になってしまった文芸評論と左翼思想の薫陶を受けたということもある。民衆のみる夢、というのはそこでの大きなテーマだったから。

 

 

思想家を読む

学生時代に、哲学・思想書をかじってから、社会人として生活していく中で、細く、長く、乏しく、その読書を続けてきた。読書量自体はたいしたことはないから、むしろ時々立ちどまって、哲学・思想書が扱うような問題にあれこれ思いをめぐらしてきた、というくらいのところだろう。

コロナ感染症のために、突然人生に幕が下ろされかかって、こうした「思いめぐらし」も他の全ての営みと同様に中断する運命かと思われたけれど、おかげさまでしばしの猶予をもらうことができた。

それで定年という区切りをきっかけに、様々な営みに自覚的に区切りをつけようと思って、あれこれじたばたしている。哲学・思想についてもどうにかしたいと思って、手付かずだった恩師の大著を読了したりもしたのだが、自分からはなかなか打つ手がないところに、外から思わぬ援軍が入った。

僕は外国の思想家にはあまり縁がないのだが、一人だけ気になって時々拾い読みしてきた人物がある。今となってはもう昔の人だけれども人気思想家で、数年前にも岩波新書で入門書が出版された。

その入門書を書いた専門家(その思想家についての学術書を何冊か書いているから、研究の一人者といっていいだろう)が、僕の関わってきた読書会に参加してくれるようになって、ミーハー気質を発揮してさっそく著書にサインをいただいたりした。

それがひょんなことから、彼の書いたその思想家の入門書を、読書会で年明けにレポートすることになったのだ。一級の研究者である彼の前で、その思想家を語るということなどおこがましいし、恐ろしくて自分から手をあげることなどなかっただろう。

ただ他のメンバーからやんわり持ち掛けられたとき、この機会を、自分の営みに区切りをつけるという作業に利用してもいい、というか、そのために神が作ってくれた千載一遇のチャンスではないか、と思えて引き受けたのだ。

そういうわけで、今からせっせとその思想家の本をよみながら、哲学・思想をどのように自分の糧として生きてきて、それがどんなふうに形をとってきたのかをまとめようと思っている。

介護の研修を受けたり、薬の勉強をしたり、今の仕事のまとめになる読書をしたりしながら、来年度以降の暮らしを計画する気ぜわしい時期だけれども、これだけはしっかり仕上げたいと思っている。

 

『ハツカネズミと人間』 スタインベック 1937

読書会の課題図書。人間には仲間と土地が必要だ、という話。

【演劇】

レニーとジョージの(おそらくは不幸な)行く末が気になって途中までは、読むのがつらかったが、ある部分から急に読みやすくなった。カーリーの妻の死の場面のあたりで、これが演劇の舞台に近いことにと気づいたからだ。

視点が不自然に固定されて、登場人物たちの振舞いがどこか客席を意識したものになる。最後の場面のレニーの一人芝居もとても演劇的だ。この芝居のような枠組みが、二人の死という悲劇を、象徴化して救いのあるものにしているように思える。

ユートピア

自分の土地から採れる一番いいものを食べて、仲間と動物といっしょに自分の思いのままに暮らす、という彼らのユートピアは、人として健全でどの時代でも通用する普遍的なものだと思う。

これに比べると、かつての日本の「庭付き一戸建てのマイホーム」を持つという夢(そこには仕事も食べ物も自由もない)が、いかに偏ったものだったかに気づかされる。僕自身もそれに無意識にとらわれていたのだが。

【神話】

ジョージとレニーの農場の夢を語る物語が、まるで現代の神話のように迫ってくる。初めは、レニーにせがまれていやいや語ったジョージも、次には自分から熱っぽく語り、その語りにキャンディ老人も黒人のクルックスも巻き込まれる。最後には、死を前にしたレニーへの追悼のために物語られる。

場面転換を貫いて同じ所作や言葉を繰り返し、作品世界の自立性を高める仕掛けも演劇的だ。 

 

 

犬鳴峠の怪

久しぶりに車で、犬鳴トンネルを抜ける街道を使う。妻の要望で久山町の植木屋に行った帰り、次男を職場に迎えに行こうということになったために、その最短の経路だったからだ。

犬鳴峠は、今では全国的に心霊スポットみたいな場所として著名だが、地元ではずいぶん以前からいろいろと噂されていたようだ。この地方に越してきたばかりのとき、地元の人から、「いぬなき」ではなくて「いんなき」だと教えられたのが印象に残っている。

有名な殺人事件があったりした場所だが、妻が自分の体験した事件について話してくれた。妻が地元では有名なヤンキーの多い高校に通っていた頃だというから、いまからもう40年以上前の話だろう。

妻のクラスの仲のいい友人が、彼氏のバイクに乗って、夜のツーリングに出かけた先が犬鳴峠だったそうだ。やはり当時から若者に恐いもの見たさの場所だったのだろう。そこで事故を起こし、二人とも亡くなってしまったのだが、その死因が水死だったという。

二人とも道路脇の側溝に頭を突っ込んで意識を失ったために、側溝のわずかな水で窒息して亡くなってしまったのだ。事故だから特別に記録に残ってはいないのだろうが、やはりいろいろあった場所なのだ。

暗く長いトンネルを抜けると、巨大な犬鳴ダムを見下ろす橋の上で、突然空中高く投げ出されるような感覚をおぼえる。僕には、この場所が一番こわい。

カブトムシとの別れ

朝には元気だったカブトムシが、深夜帰宅してみると、昆虫ケースの中で仰向けにひっくり返って死んでいた。最後に入れた黒糖ゼリーをほぼ舐め切っているから、死の前まで食欲は旺盛だったのように見える。家に来て二か月。ほぼ天寿を全うして、人間でいえば、ピンピンコロリ、という理想的な往生だったかもしれない。

飼育が長期化してからは、土や枯れ葉の間から見える動かない身体の一部を突いたりして、生きているかどうか確認したりしていたのだが、本当の死はそんなものではないことがわかった。本当に魂が抜けたというような、抜け殻としかいいようのない姿をさらすものだ。

まだ夏の初めの7月21日の早朝、和歌神社の銀杏の大木の根元にひっくり返って、異様なくらい激しく足を動かしているカブトムシを見つけた。神社の境内の地面は雑草もなく平らだから、落ちたまま起き上がることができなかったのだろう。赤味の強い大きな身体の短い角をつまんで、自慢げに家に持って帰った。

考えてみたら、自分の手で捕まえたカブトムシを飼うのは今回が初めてだ。大きめのケースを買い、飼育用の土も枝も枯れ葉も昆虫ゼリーもそろえたから、比較的暮らしやすい環境だったのではないかと思う。めったに構わなかったから、ストレスもなかっただろう。

規格外の大きさかと思っていたが、死んだ身体を計ってみると、角をのぞいた頭部までの体長は、55ミリに少し足りないくらいだった。小学館の図鑑で、カブトムシのオスの体長が30ミリから53ミリと表記されていたことの意味をようやく了解できた。いずれにしろ最大クラスの個体だったのだ。

この二か月は、コロナ感染症からの退院後の激動の時間だった。残りの人生もこの土地で本腰を入れて生きていこうとあらためて決意をした時でもあった。カブトムシやゲンゴロウとの思わぬ出会いは、この土地の神様からのプレゼントだったかもしれない。

庭の隅にカブトムシを埋めて、エサ台の木を仮の墓標にする。来年の夏もまたカブトムシに会えるだろうが、僕にとって特別の夏に出会った彼の存在は忘れられないものになるだろう。