大井川通信

大井川あたりの事ども

『魔術師』 江戸川乱歩 1931

肩の力を抜いて、読書を楽しみたいと思って、乱歩の「通俗長編」の一冊を手にとった。創元推理文庫の乱歩シリーズの一冊。このシリーズは、雑誌連載当時の挿絵がふんだんに載せられていて、本文だけの文庫本とは印象が全く違う。昭和初期の挿絵には時代の空気がたっぷり含まれていて、読み手の想像力を限定してしまうところがあるが、その分負荷なく読み進めることができる。

ところが、前回読んだ『孤島の鬼』ほど小説としての深みがない。シリーズの中で本格ミステリに分類される『孤島の鬼』とは違い、これはスリラーにジャンル分けされている。ただ読者を楽しませるための「イメージの暴走」はとどまるところを知らずに、飽きたり、苦痛になったりすることなく、読み終えることはできた。

エログロ度やハチャメチャ度は高く、なじみのある少年ものの方が内容表現面で穏当なのはもちろん、ストーリーに説得力があるような気がする。かなり重要な二つの場面(明智の監禁脱出とクライマックスの犯罪現場の発見)で、明智小五郎が賊の娘の助力に全面的に頼っているのは、どうにも物足りない。

全20巻のシリーズの内、4冊を読み終えた。全集までは手が出ないと思うが、せめてこのシリーズくらいは完読したい。

 

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『宗教の最終のすがた』 吉本隆明/芹沢俊介 1996

副題に「オウム事件の解決」とある。オウム関連資料として買ったものだが、薄い対談本にもかかわらず、吉本らしく独善的でねちっこい論理展開がわかりにくく、弟子筋の芹沢の追従(吉本関連本にはありがちな態度なのだが)も気になって、読み切れなかったものだ。最近、民衆宗教について考えていることもあって、ふと手に取って読み通してみた。

吉本は60年代以降に「戦後最大の思想家」という評価を得たが、80年代初めの反核運動に対する『反核異論』での原発礼賛と、95年オウム事件における麻原擁護によって、大きく人気を落とした。前者では広く左派の読者の評価を落としたが、後者では、吉本びいきのコアなファンで離れた人もいたと思う。

僕自身、その二つの「事件」のそれぞれを同時代に体験したわけだが、意地になったような吉本のかたくなな態度に共感することは難しかった。しかしオウム事件からも30年近くが経って、あらためて当時話題になった吉本の発言を読んでみると、吉本が言いたかったことの意味が、遠目にはっきりわかるような気がした。

これには、吉本が理論家や思想家として特別に高度なことを論じているという幻想から離れる必要がある。吉本は人間の作り出す観念の世界を「共同幻想」「対幻想」「自己幻想」という三つに分けて、それぞれ次元が違う三つを混同せずに峻別すべきことを繰り返し説いた。かつて吉本自身(やその信者)は、ここに世界的な思想の達成を見たりしたのだが、今となってみればそんな主張は通用しないだろう。

これは、あくまで、人間的な事象の全般を扱う上での吉本自身のおおまかな原則であり、指針や心得であったのだ。天皇制国家体制の一元支配が、家族の領域にも、思想や文学や宗教の領域にも暴力的に浸透していた「戦中派」の体験を批判的に総括するための譲れない原理原則だったのだろう。

だから、吉本の主観においては、反核運動という政治的、社会的な領域から、科学的な真理の領域の独立を守ろうとしたわけだし、世俗の価値観から、信仰の領域の独立を守ろうと闘ったわけなのだろう。ただし、原則自体がおおむね正しいとしても、それをどのように適応するかの判断は分かれることになる。吉本に学んだ読者が、別の判断をもって吉本から離れたのは仕方ないことだったのだ。

この本で吉本が述べていることは、世俗的な善悪の価値観や生死の考え方(共同幻想や対幻想)と異なる価値観や考え方を、人間が文学や信仰の場面(自己幻想)で持つことを認めよ、ということに尽きる。吉本を、「大衆の原像」(対幻想)論者として共感していたファンには意外(無垢の大衆を殺戮する麻原思想を吉本が肯定するはずがない!)であっても、これもまた吉本の原理原則から導き出される主張にちがいない。

ただ、ある意味で当たり前の原則論をオブラートにくるまず空気を読まずに押し出したところに、吉本の良さも悪さも出てしまったのだろう。

 

 

 

 

 

『輪廻の蛇』 ロバート・A・ハインライン 1959

ハヤカワ文庫での邦訳は、1982年の出版。昨年、映画の原作となった表題作の短編だけを読んでいたが、今回は全体を読了。その前に読んだディックの短編集の出来があまりよくなかったためか、それと比較して、一篇一篇の完成度が高く、バラエティもあって読みごたえがあった。

全体の半分強を占める中編の『ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業』は、探偵への奇妙な依頼が発端になるミステリー仕立てのホラーで、日常の中に紛れ込む不条理や異界の描き方が秀逸だし、神と悪魔みたいな類型的な説明に落ち込むかに見せて、謎と余韻の残る結末にしているのもよい。

短編『かれら』は、いかにも精神医学的ないし独我論的な症例を扱うように見せて、SF的なオチをつけていて鮮やかだ。短い作品ながら、哲学的な含蓄も深い。

そのほか、コミカルだったり、ロマンチックだったりする作品もあって楽しめるが、なんといっても再読した『輪廻の蛇』の完成度が高かった。今回は映画と離れて、わずか30頁弱の短編作品として読んだわけだが、十分鑑賞に値する凝集力を秘めていた。

ハインライン作品をもっと読んでみたいと思わせる一冊だった。

 

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博多駅前ストーカー事件(事件の現場12)

マスコミの生々しい報道を見ていたせいもあって、この身近に起きた事件の現場を訪ねようという気持ちは起きなかった。週末、博多駅に寄ったのも本屋が目的であって、電車が駅に近づくまで、この事件のことを思い浮かべることもなかった。

駅を降りてスマホで調べると、想像していた飲み屋などの多い繁華街ではなくて、ホテルやオフィスビルの多いところだ。駅前広場から大通りを渡ってすぐの場所とわかると、思わず足が向いた。

窃盗や強盗などが目的の事件や自然災害の場合だと、さすがに今の自分からは距離が感じられる。人間はどんなことでもしてしまうし、どんな災厄を被る可能性があるとわかっていても、自分が加害、被害の当事者になるとは考えにくい。その分、そこで起きた圧倒的な暴力や非日常的な事態に対して、遠くから引き込まれるように反応してしまう、近づいてしまう、ということがあった。

一方、ストーカー事件というのは、ごく日常的な愛情や嫉妬や憎しみが出発点になっている。これらはたやすく亢進し暴走する。それが不幸な事件に行きつくのは、確率の問題であるような気もする。わが身にも起こりうるという近親憎悪から目をそむけたくなっていたのかもしれない。

ともあれ、事件の現場には、たくさんのペットボトルと花束が供えられて、オフィス街の暗い道端に現れた鮮やかな花輪のように見えた。ほんの数日前に突如この場所に穿たれて彼女の命を吸い込んだ暗黒の亀裂をその花輪がふさいでいたのだ。

ビルに挟まれた道を少し歩くと、信号のある大きな交差点に出る。この大通りの下は地下鉄が掘られていて、数年前に突如陥没して道幅いっぱいの大きさの穴が開いてしまった場所だ。しかし、陥没穴は修復されて今は何事のなかったようにアスファルトの交差点が広がっている。今回の事件の現場の傷も、すぐにふさがれてしまうだろう。

僕は近所の横浜家系ラーメンの店でラーメンを食べてから、駅ビルの本屋に寄って、いつもの帰路についた。

 

 

『山びこ学校』 無着成恭編 1951

この著名な本も、戦後50年を区切りに岩波文庫に入った当時手に入れて、四半世紀の積読を経てようやく読了した。同じころ話題になった『月明学校』を先日読んだことがきっかけだが、『やまびこ学校』の方が反響も大きく、後世への影響もずっと大きかったというのは納得できた。

『月明学校』は若い女教師が成長する私小説としての面白さがあるが、『やまびこ学校』は無着成恭(1927-)の担任した学級全員による文集であり、子どもたちの生の声がふんだんに入っている。子供たちの作文を通じて、村の暮らしのリアルや、無着が行う教育の姿がありありと浮き上がる仕組みになっている。

その教育のありようは、おそろしくまっとうで感動的だ。子どもたち同士が話し合い、協力し合い、学校をよくするために、また村の暮らしをよくするために、自分たち自身や家族、村や社会の仕組みや矛盾とも向き合おうとする。

当時の子どもたちは相当きつい労働を役割として担いながら、書くことと話しあうことという言葉の実践を武器にして、自ら問いを立て、一歩一歩自分たちをとりまく現実にかかわっていく。

こんな実践を、教師として経験の未熟な無着が支えることができたのはなぜなのか。無着の指導が、子どもたちの心をとらえたのはなぜなのか。先輩教師の指導や生活綴り方運動の影響というのもあるのだろうが、戦後民主主義や戦後教育の理念、社会科という教科の本来の指導内容について、若い無着が素直に反応して本気で実現しようとしたことが大きいような気がする。

今でもこの理念や指導内容は、言葉としては継続している。ただしこの言葉を生きた理念として新鮮に受け取り、我が物にできるような「主体」(大人も子どもも)の側の条件が確実に変わってしまったのだろう。

『月明学校』と共通するのは山間の農村として、炭焼きが生業となっている点だ。炭焼きの実態が、子どもたちの版画や作文で描かれているのも、今となれば貴重な記録だ。

無着成恭は、その後東京多摩地区の明星学園の教師となったが、この学校には従兄が通学したこともあって僕にはなじみがある。ラジオでの子ども電話相談室の回答者としての知名度は完全に全国区だった。さらに、僕には思い出深い大分の泉福寺の住職を経験したというのも、不思議な縁を感じる。

無着のパブリックイメージは手垢にまみれているが、彼の原点となった作文集にはその垢を洗い落とすような無垢の力があった。

 

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『変数人間』 フィリップ・K・ディック 1953

ハヤカワ文庫のデック短編傑作集の2冊目を読む。1冊目の『アジャストメント』はどれも粒ぞろいという印象だったが、今回は、ピンと来ずに〇△✕の三段階で✕をつける作品が多かった。僕のSF的な教養の乏しさが原因だとは思うが。

その中で、映画化もされた『ペイチェック』(1953)はテンポのよい展開でさすがに面白い。ただ、50年代の作品だからか政治と経済の支配権力に対する革命という設定がやや陳腐だし、「タイムミラー」と「タイムスクープ」のアイデアにも新鮮さはなかった。ラストのタイムスクープの現場が可視化される場面には、ちょっとドキッとした。

表題作の『変数人間』は、現代の職人的な手仕事の技術が、200年先の科学研究の分業が徹底した社会を救うという物語だが、平凡なはずの主人公の超人のような大活躍にややしらけてしまった。

この時代は全宇宙の情報を収集し、未来の出来事の正確な予測をするコンピュータの判断が政府を動かしている。ただ、新情報の入力が(文字で書かれた?)プレートを読み込ませるというアナログな方法なのが、今からみると違和感がある。そんな方法では、未来予測を可能にするような膨大な情報を集めることはできないだろう。安部公房の『第四間氷期』(1959)にも同じような場面があった。

コンピュータは、地球とその敵方との戦争における勝敗の確率を、新情報の入力に応じて、そのつど書き換えていく。これは今将棋の対戦などで実用化されているシステムと同じで、時代を先取りしていたことに感心する。

ということで、今回はあまりうまく読めなかった。いずれにしろ、こうしてたどたどしく各ジャンルの読書を積み重ねていこう。

 

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水引と山頭火

昨年の冬から一年ぶりに東京の姉が来福した。僕は、この間、二度姉宅に泊っている。両親が亡くなって、実家も手放してからは、かつて僕の育った「家」の実体は、僕と姉との関係の中にかろうじて存在するのみになった。もしどちらか一方だけになった場合には、「家」の実体は消滅し、どちらかの記憶の中だけにとどまることになるだろう。

家が家屋敷と家系によってもう少し長続きする時代ならともかく、核家族の盛衰というものはこんなものなのだろう。叔父が亡くなって兄弟が自分だけになったときに、父親の口から似たような嘆きを聞いたことがある。

前回来たときには、姉は俳人山頭火に夢中で、近辺の山頭火の足跡を案内して回った。今回も阿吽の呼吸で市内の句碑(生前に建てられた唯一のものだそうだ)に再度立ち寄って喜ばれた。

姉の本好き、文学好きは明らかに父親の影響だろう。ここ数年は、創作水引の教室に通って、それを生きがいにしているようだ。空き時間にも水引細工に余念がない。小物の制作が好きだった母親の気質を受け継いでいるのだ。今回は天候に恵まれなかったので遠出はしないで、僕がいつもいくカフェで時間をつぶしたりした。

僕は相変わらず持参した複数の本をちょこちょこと読んでいたが、姉は、彩り豊かな水引をこねくり回している。東京のカフェでも同じ作業をしているそうだ。遠く九州の田舎町のモールのカフェで、初老になった姉弟が向き合って、まったり時間をつぶしている。場所と形が変わったとはいえ、ここにかつての実家はまちがいなく存在しているのだろう。

 

 

 

カラスの亡骸とカンタロウ

年初のお祭りが終わってから、東公園からカラスの姿が消えてしまった。広い公園の周辺では、何羽かのカラスを見かけるのだが、かつて公園のあちこちで何十羽もいた群れの姿が見当たらないのだ。

公園の小さな池と水路には、冬に飛来したたくさんのカモたちがいて、水面が狭すぎるためか地面で休んだり芝の上を列をなして歩いている。掃除が行き届いて、雑草も枯草もない都市公園では鳥のエサの分量が限られているだろう。

一年中いるスズメやハトやヒヨドリムクドリのほかに、シロハラジョウビタキ、モズも姿を見せている。エサの少ない都市公園をカラスが見限ったのかもしれない。

公園内を一周したら、植込みの陰に、カラスの新しい死骸が落ちていた。こんなことは珍しい。まさかカンタロウではないと思ったが、一応手を合わせてお祈りをした。想像つかないが何らかのアクシデントがあったのだろう。この「事件」をきっかけに、カラスのコミュニティがこの都市公園を危険と判断して立ち去ったというのが真相に近い気がする。

別の日、カラスがほとんどいなくなった公園を手持無沙汰で散歩していると、少し離れた枝にカラスが一羽止まっている。まさかと思って近づいても逃げ出さず、愛嬌よく小首をかしげている。近くの枝に飛び移って鳴くので、追いかけて鳴きまねをすると、少しだけだが鳴き声の応酬をすることができた。カンタロウだ。

群れが退避しても、カンタロウは気にかけて戻ってきてくれたのかもしれない。しかし、カンタロウもなんだか少し元気がないようだった。

 

 

 

『くるくるかわるねこのひげ』 ビル・シャルメッツ 2014

ビル・シャルメッツ(1925-2005)はアメリカのイラストレーターで、原作は1969年の出版。騒然とした時代を背景としているせいか、はちゃめちゃで楽しい絵本だ。

原題はシンプルに「ねこのひげ The Cat‘s Whiskers」。帯に「待望の復刊!」とあるから調べると、1985年に一度翻訳出版されている。その時のタイトルは「とてもかわったひげのねこ」だったようで、今回の方がいいだろう。

立ち読みで手に取ったのだが、欲しくなって買ってしまった。そういう絵本はなかなかない。真っ赤な表紙と自在で達者なデッサンを見ていると楽しくて、手元にあるだけで元気が出てくるのだ。

猫のひげが自由自在に伸びて、いろいろな形をつくって、女の子と遊んだり、事件をまき起こしたり、というストーリーなのだが、猫のひげの線が走りまわり、転げまわり、暴れまわる様子はとても魅力的だ。その予想不可能な動きは、確かに猫のふるまいにも共通している。

「線の哲学」みたいな本が面白そうで、買って積読のままになっている。こんど読んでみよう。線はどこまでも伸びて、見知らぬ場所に連れて行ってくれるし、曲がったり、回ったりすることで形をつくり、内と外の境界を引いたり、それを破ったりする。線というものの不思議と魅力をぞんぶんに味あわせてくれる絵本だ。

 

 

ご近所トラブルを収束させる

11月の終わりに、妻が隣家の奥さんからケヤキの落ち葉のことで苦情を受けた。長男の幼稚園時代からの付き合いだけれども、感情が爆発したみたいな様子だったという。それを聞いて、何年もわたって相当不満をためてきたのではないかと想像できた。

妻も混乱して、すぐに謝りに行ってくれと言ったり、いくら何でもあのいい方はないと言ったりする。ただ、今顔を見せても火に油を注ぐばかりだろう。いくらこちらに非があっても、きつく言われたら気分が悪いし、言わざるをえなかった側も気を病むことになる。こんなことをきっかけに、交際断絶なんてことになりかねない。ずるいようだが、冷却期間を置くことにした。

まずは反省を言葉でなく態度で示すこと。指摘されたとたん、手のひらを返して可能な限り落葉が隣家の前を汚さないようにした。目につく時間に他人の家の前の掃除をするわけにいかないので、暗いうちの朝5時過ぎに起きて道路に散らばった落葉の掃き掃除。夜にももう一度。

散りつくすまで半月くらいかかったが、これで落葉の掃除がいかに大変かが骨身にしみた。しかも隣家だけでなく、かなり広範囲に迷惑をかけていることを実感した。内心不満をため込んでいる人も別にいるかもしれない。だとしたら、今回の隣家からの指摘には(未然に?村八分状態を回避させてくれたという意味で)むしろ感謝しなければいけないことになる。

葉が散りつくしてから、頼んだ業者の都合がついてケヤキを三分の一ほどに切ってもらった。もともと予定していた剪定なのだが、我が家の態度をご近所にきっぱりと示すことにはなったと思う。

隣家からクレームが入ってから落葉が出る半月間は(遅きに失してはいたものの)近隣に迷惑はかけず、さらにそれから一か月がたった。我が家が方針を改めたことには満足しているはずだし、十分な冷却期間があった。のど元過ぎればなんとやらである。

隣家の奥さんからしてみれば、隣人に声を荒げてしまったことのしこりが残っていたと思う。このタイミングで、朝の通勤時に車を出す奥さんと顔を合わせる機会があった。あの「事件」以来、僕がお隣の家族に会うのは初めてだ。

僕は、無精者ですみませんという自虐を交えて、今までの落ち葉の不手際をしっかりわびた。これには、この一か月半の実績と冷却があるために、奥さんもこころよくわびを受け入れてくれた。一方奥さんの側からも、「私が言いすぎたので、奥さんに謝りたい」という言葉をかけられた。

こちらが150%悪いことだから、本当だったら謝る必要のないことだし、当時は先方もそう思っていただろう。しかし、冷却期間中に亢進した気まずさのために、それを何とか晴らしたいという思いが奥さんに起きたのだろうと思う。

この奥さんの謝罪のおかげで、直接面罵された妻の方もその不満や反感を収める方向に舵を取ることができそうだ。もともとこちらが悪かったのだし、ご近所だから「水にながそう」と話している。

ご近所トラブルはこじらせると大変だ。先月も埼玉県飯能市で一家三人の命が奪われる不幸な事件が起きている。それを回避する生活の知恵の大切さが実感できた出来事だった。