大井川通信

大井川あたりの事ども

2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ミロク様

ヒラトモ様の鎮座する里山の中腹で、ミロク様の石の祠にお参りして、お酒を供える。 先代の住職は、年に一度お経をあげていたそうだから、おそらく仏教の弥勒菩薩と関係があって、だから村の鎮守に集められることもなく、山中に取り残されたのだろう。 祠に…

電柱のノスリ

バス停脇の電柱の上に、一見、電線の設備の一部みたいに白っぽい大きな鳥がじっと止まっている。尾が短くダルマのように丸い鷹、ノスリだ。以前、ダムの上空で凧のようにホバリングしたり、森の樹上に止まる姿は見ていたが、人家の近くは初めてだ。人や車を…

カワラヒワ

高い木の枝のてっぺんで、春の気配に弱くさえずるカワラヒワを見つける。スズメみたいな小さなシルエットだけど、日差しを受けて、意外なほど鮮やかなグリーン。

メディア戦略

岡庭と吉本⑧ 吉本隆明は、雑誌「試行」を主宰するとともに、数多くの講演に出向いて、読者と直接向き合った。 岡庭昇も、雑誌「同時代批評」の編集・発行を行い、定期的な連続シンポジウムを開催した。また自著の出版を自から手がけた。

都会のシロハラ 田舎のシロハラ

田舎に住むシロハラは、とても用心深い。人影を見つけた途端、一直線に飛び去ってしまう。かつて、ツグミとともに猟の対象だったなごりだろうか。人波が絶えない都会の公園で、歩道わきで平然と餌をついばむシロハラを見て、驚いたことがある。冬に渡って来…

アマチュアイズム

岡庭と吉本⑦ 吉本隆明は、アカデミズムの外で独自の知を生み出して、在野の評論家一本で生活した稀な存在だった。 一方、岡庭昇も、テレビ局職員という、多忙で花形の職業をこなしながら、余技でない独立の評論活動を貫いた点で比類がない。

ハクセキレイ

歩道の脇の空き地で、妻の投げるお菓子のかけらをトコトコ走り回ってひろっていた。河原などに住み、長い尾羽を上下に振り続ける姿から、イシタタキと呼ばれた彼ら。街中のアスファルトの上を好むのはわかるが、この人懐っこさはどこから来ているのだろう?

介護職員研修

特別支援学校の高等部を、次男がこの春卒業する。なんとか希望通りに、老人介護施設に就職できそうで、来週から、資格取得の講座に通うことになった。 下見のために、会場になる大学に通う道を夫婦と次男で歩く。短期間でも大学に通えるので、彼も気合いが入…

罵詈雑言

岡庭と吉本⑥ 吉本隆明は、論敵に対して、レッテル貼りや決めつけなどして、激しい口調で罵倒することもいとわなかった。それに拍手喝采する向きもあったようだ。 岡庭昇は、吉本の罵倒の被害者でもあったのだが、全方位に向けた「徹底粉砕」では負けていなか…

宗教論

岡庭と吉本⑤ 吉本隆明は、キリスト教や仏教を広く論じて宗教論集成を出版しているが、90年代には、オウム真理教の麻原彰晃を擁護する発言で物議をかもした。 岡庭昇は、メディア批判や社会批判の一方、創価学会を擁護する立場を明らかにし、池田大作を論じ…

ポストモダン

岡庭と吉本④ 吉本隆明は、オイルショック以後の社会の変化を受けて、批評のスタンスを変更した。『マスイメージ論』で大衆文化を論じ、先進国が「超資本主義」へ入った時代を独自の視点でとらえるようになる。 同じころ、岡庭昇も狭義の文芸評論の枠組みから…

ヤドリギ

散歩の途中、遺跡公園の落葉樹の高い枝に、そこだけ丸く葉が残ったところがあるのに気づいた。直径50センチばかりの球状に黄色い葉が茂っている。 鳥の巣だろうか。後で知人が、ヤドリギだと教えてくれた。古代から神聖視され、人類学の古典『金枝篇』の金…

世界文学

岡庭と吉本③ 吉本は、古典や詩歌から、近現代また国内外の文学を、普遍的な相で論じることができた。 岡庭昇もまた、漱石から戦後の諸作家、近現代の諸詩人だけでなく、例えばフォークナー論を一冊にまとめるなど外国文学についても、一貫した視座から論じて…

言語思想

岡庭と吉本② 吉本隆明の思想の根底には、『言語美』等で展開される、言葉や観念に対する原理的な把握があることは、よく知られている。 一方、岡庭昇にも、「規範言語論」とも呼ぶべき、言葉と観念をめぐる本質的な理解があって、それが、詩論、文学論、メデ…

シロハラ

職場の窓の外の林で、暗灰色のシロハラがしきりに落ち葉をひっくり返して、餌を探している。正面を向くと、暗がりの中で、腹の白さが妙に目立つ瞬間がある。 なるほどシロハラだな、と和名の由来に感心した。

詩と詩論

岡庭と吉本① 吉本隆明は詩人であり、詩についても多く論じている。前の世代の戦争詩を批判したり、70年代には、同時代の詩を「修辞的現在」として総括したりもした。 岡庭昇も、詩人として出発し、2冊の詩集と2冊の詩論を編んでいる。「芸の論理」による…

青い鳥三羽

シモノハラ池のふちで、ルリビタキを見つける。頭も羽もちょっとくすんだような青だが、脇のオレンジ色と、白い眉がかわいい。 小川の水面ギリギリをカワセミが真っ直ぐに飛ぶ。背中の縦の青いラインを日に輝かせて。 遠くの民家の屋根で、イソヒヨドリが庭…

数珠と呪術

長男が友達にしたという笑い話。 夜、リビングに入ると、母親が大好きな心霊番組を見ていたのだが、その姿というのが、画面に向かい、数珠を握って拝んでいたというのだ。 そして、こちらは少し怖い話。 長男が彼女を家に泊めてしばらくの間、邪気を払うため…

初詣

戦中派の父にとって、天皇制と神道は不倶戴天の敵だったのだろう。我が家では、初詣に行く習慣すらなかった。 そのせいか僕は今でも、本心から何かに祈ることができない。 博多の街で神仏に囲まれて育った妻と暮らして、そう思う。

岡庭と吉本

岡庭昇を読み直すときに、吉本隆明の軌跡を参照軸にすることもできるだろう。それぞれの読者からは異論があるだろうが、両者には意外に多くの共通点がある。 一知半解を承知で、その共通点を挙げていく。狙いは、「戦後思想の巨人」に照らして、岡庭昇の仕事…

父の遺影

無神論の家風のせいで、帰省しても取ってつけたような仏壇に手を合わせることもしなくなった。 家を出て30年、父が死んで10年。 母と姉が選んだ、とびきりの笑顔の父の写真を見上げて、はじめて自然に言葉がかけられるように思えた。

遥拝説発見!

「江戸っ子は、富士塚に登拝して、富士山登拝と同じ現世利益が得られると喜び、塚の頂上から富士山を遥拝した」『富士山文化』竹谷靱負より

歯車

急に視界の中心が盲点のように見にくくなり、視野の左側上部でさざなみが立つようにチラチラしだすが、今回はそれが広がらないうちに収まった。 閃輝暗点だろう。芥川龍之介が自殺の年に『歯車』で描いた症状だ。 ただし僕の場合、どちらの目にも同じ形で、…

アトリ

ゴマみたいな群れが枯れ田から飛び立って、うねるように左右に舞ってから、ウサ塚の木々に戻った。 橙色の胸、白い腹、黒と灰色の頭と背。 スズメかと思って双眼鏡をのぞくと、大陸からの訪問団アトリだ。

揚げ雲雀

あぜ道ではヒバリの高鳴き。あちこち梅もほころぶ。 そんな生命の胎動を報告すると、Hさんは顔をしかめた。 また、働かなくちゃいけない季節がやってきた、と。

曜変

国宝曜変天目の再現にいどむ陶芸家の姿が忘れがたい。 テレビドキュメンタリーで、彼は、苦しくて仕方がない、とつぶやく。 それは、彼にとって作陶が目的でなく手段になってしまっているからだろう。完全な曜変の輝きを捕まえるための。

ヒラトモ様

山上のヒラトモ様にお参りする。 平家物語の文庫本を開き、平知盛の最期の一節を、供養のために朗読した。 イノシシ猟の銃声が近づくのを聞きながら。

富士見公園

崖の上の小さな公園で、富士山に正対するようにベンチが置かれていた。 現代のシンプルな遥拝施設。

初庚申

勤め帰り1時間ばかり並んで、猿田彦神社にお参りした。 博多の古い町並みで戸口によく見かける、小さな猿面を授かる。 さる、だから災難が去る。 博多っ子の妻には、懐かしくも頼もしい門番となるはずだ。

コゲラ

たくさんの甕棺を出土した遺跡公園で、コゲラが小さな頭を振り乱して、葉の落ちた木の幹をつついていた。