大井川通信

大井川あたりの事ども

2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「まつのひと」 鈴木淳 2018(第13回津屋崎現代美術展)

旧玉乃井旅館での現代美術展を、黄金週間で帰省中の長男とのぞいてみる。駆け足で観るなかで、鈴木淳さんの作品が心をとらえた。 鈴木さんは以前、神社を舞台にしたプロジェクトで、石柱などに刻まれた寄進者の名前から、その人のことを調べて、その場に掲示…

石炭ケーブルカー

「よいことを聞かれた」と、ハツヨさんの口ぶりがいっそう元気になる。僕がふと思いついて、石炭を運ぶケーブルカーのことを知らないか尋ねてみたときだ。 隣村からの往還(道)の上を、ケーブルカーが通っていて、その車輪がぐるぐる回っていたそうだ。石炭…

盆うた

日当たりのいい庭で、みんなで話を聞いていると、103歳のハツヨさんは突然、思い出したという風に手をたたいて、ゆっくりと盆おどりの歌をうたいだす。 ハツヨさんは、村では歌姫と呼ばれて、盆踊りの歌い手としてかかせなかったそうだ。他の娘さんたちで…

高槻のこずえにありて

鳥見を始める前は、短歌や俳句で名前だけを先に覚えてしまい、実物を知らない鳥がけっこういた。ホオジロもそのひとつ。 「高槻のこずえにありて頬白のさへづる春となりにけるかも」 島木赤彦(1876-1926)のこの歌は、春の訪れの喜びを歌って鮮烈だ。高槻…

君はハルゼミを知っているか

セミは、郊外育ちの昆虫好きの元少年にとって、一番身近な長年の友人である。だから、セミに関するネタは山ほどある。 昔の東京では、アブラゼミが主力だったが、今ではミンミンゼミも平気で街中で鳴くこと。西日本では、クマゼミの天下だが、生息域が東京に…

鳥たちの「春活」

通勤の道の電柱の上に、木の小枝でまるまるとくみ上げた巣に、さかんにカササギが出入りしている。電力会社に撤去されないことを祈ろう。 小さなカササギみたいな優美な姿のセグロセキレイが、田んぼのあぜ道でふしぎな振る舞いをしている。オスがきれいに黒…

『木馬は廻る』 江戸川乱歩 1926

読書会で、この作品の入った短編集(創元推理文庫『人でなしの恋』)を読む。 浅草木馬館(メリーゴーランド)の初老のラッパ吹きが主人公。貧しく気苦労の多い家庭生活と、木馬館での仕事に打ち込む自負心。同僚の切符切りの娘への愛情にひと時の慰安を得て…

『下り坂をそろそろと下る』 平田オリザ 2016

正直なところ、後味のわるい本だった。著者の本は、今までに何冊か読んできて、面白く読めた印象があったので、この読後感は自分でも意外だった。しかし、この後味のわるさは、この本の中心にドカッとすわっている。それをさけるわけにはいかない。 簡単にい…

訪問とお参り

大学卒業後、初めに就職した会社でのこと。今なら「朝活」とでもいうのだろうか、支店長が部下を集めて、ホテルの一室で朝食を食べながら、勉強会のようなもの開いていた。営業のたたき上げだった支店長は、自分の体験を交えて面白おかしく営業の「極意」を…

ミロク山でアサギマダラに出会う

「ひさの」で知り合った大正3年生まれのHさんの生まれ育った村を再訪。 ミロク山の急な山道を息を切らしながら登ると、その先に大きな建物ぐらいの岩が露出していた。岩の前面には地蔵がならんでおり、少しくぼんだところに、江戸時代の元号の刻まれた古い…

『壁』 安部公房 1951

たぶん高校生の頃読んで、惹きつけられた作品。およそ40ぶりに再読しても、古びた印象はなかった。なにより、終戦後5、6年という時期に、『飢餓同盟』よりも早く書かれていたという事実に驚く。 同時代を舞台にしていながら、近未来的というか、無時間的…

大井川歩きのこと

お年寄りは時間と空間の見当を失いがちになる、という村瀬孝生さんの言葉を聞いてから、ずっとそのことが気になっている。 僕が、大井川歩きのルールを決めたのは、4年前のことだ。自宅から、歩いて帰ってくることのできる範囲を、特別な自分のフィールドと…

霞が関ビル誕生50年

日本で初めて高さ100メートルを超えた「霞が関ビル」が、この4月で完成から50年を迎えたそうだ。僕がちょうど小学校に入学した年の完成になるが、それならちょうど記憶にあう。 日本で初めての高層ビルのことは、当時たいへんな話題になっていた。東京…

ミロク山でサシバが舞う

「ひさの」に入居するHさんからお話をうかがった。Hさんは、大正三年生まれの103歳。Hさんが生まれ育ったのは、数キロメートル離れた近隣の旧村だ。話を聞く前にも、予習として江戸時代の地理書に目を通したり、少し歩いてみたりしていたのだが、実際にお…

『だるまちゃんとかまどんちゃん』 加古里子 2018

加古里子(1926-)が50年にわたって書き継いでいるだるまちゃんシリーズの最新作3冊の内の一つ。僕自身の幼児期にはまだ書かれていなかったが、息子たち二人はまちがいなくお世話になった。 だるまちゃんの不思議な友達は、火の守り神「かまど神」をモチ…

『潰れかけたホテル・旅館を半年で再生する方法』 中山永次郎 2013

以前、仕事で使った本。必要があって、ざっと再読してみた。 トルストイの小説に、「幸せな家庭はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」という有名な言葉がある。しかし、著者によると、全国の行き詰っているホテル・旅館…

『ハードカバー 黒衣の使者』 ティボー・タカクス 1988

若いころ、ホラー映画のビデオばかり見ている時期があった。現実逃避の時間つぶしだったような気がするが、なんとなく忘れがたい作品もある。家族にこの作品をリクエストされたので、埃をかぶったVHSのテープと再生機を取り出してきて、久しぶりに観た。 主…

カシパンとトビ

今の時期の浜辺には、海流の関係か、様々なものが打ち上げられる。製造年月日が先月の真新しいハングル文字の飲料ペットボトルが転がっている。先日ミサゴが、海面から獲物のダツをつかみあげる場面を目撃したが、ワニのような口のダツの頭だけが落ちている…

千差万別

村瀬孝生さんによると、時間と空間の見当を徐々に失っていくのは、人にとってごく自然な過程ということになるが、ブログの文章を書くというのは、ささやかなそれへの抵抗という側面がある。住み慣れた住居が、その人の日常生活の時間と空間を血肉化したもの…

老人ホーム「ひさの」を訪ねる

大井炭鉱坑口にお参りしたあと、下流の隣村まで足を伸ばす。ゆったりとして明るい集落の旧家で、住宅型有料老人ホーム「ひさの」をしている田中さんを訪ねる。田中さんは、原田さんのお店で以前から顔見知りだけれども、ご自宅に伺うのは初めてだ。 田中さん…

化かされた話(森の恐怖)

森の中に通じる小道の入り口に、遠目には、白と黒に色分けされた紙袋のようなものが置かれている。周りで鳥が騒いでいる。あれは何だろう。 近づくにつれ、紙袋ではなく、こちら向きで座る白黒の子猫だとわかった。この辺で見たことのないかわいい猫だ。鳴き…

大井炭鉱跡再訪

ようやく休日の晴天と体調がかみあって、双眼鏡を首にかけ、竹の杖をついて大井川に降りていく。氏神様と田んぼの真中の水神様に、しばらく足が遠のいていたことを詫びる。水神様の上空でホバリングして、ヒバリがせわしなく高鳴きをしている。そういえば、…

読書会三昧

大学の頃からの延長で、ずっと読書会というものにかかわってきた。友人や職場の同僚を誘って主宰したり、既存の会に申し込んで参加したりした。もし読書会がなかったら、社会人になってから勉強を継続することはできなかっただろう。その恩恵は感じる一方、…

イソヒヨドリの弾道

国道沿いの駐車場に車を停めていると、黒い影が、前方の上空からまっすぐに飛んできて、見る見る大きくなって、頭をかすめる。とっさに振り向くと、そのままの浅い角度で、少し先の自動車の下のあたりに「着弾」した。 イソヒヨドリだ。そっと近づいてのぞき…

無能の人

柄にもなく、一流の人について書いてしまったので、つげ義春(1937-)の『無能の人』を読み返す。 この連作に出会ったのは、小倉にあった金栄堂という小さな書店で、雑誌「comicばく」を立ち読みした時だった。「カメラを売る」を読んで、ラストの場面に打…

一流の人

職場に行く途中に、大きな神社と小さな博物館がある。その博物館の館長さんは、そうそうたる経歴の考古学の学者だ。大学を退職後、いくつかの大きな博物館を経て、ここの館長を務めている。引き受けていただいたときには、地元の人たちは大喜びだったと聞い…

小心と怒り

少し前に姉から聞いた、ずいぶん前の実家のエピソード。 まだ父が生きている頃、台所で母が手にケガをした時のこと。包丁で誤って手を切ってしまい、血を流している母に向かって、父は動転して叱りつけるばかりで、何もできない。姉がタクシーを呼び、外科医…

疎開の意味

戦争中の生活を描いた『夏の花』の連作を読むと、「疎開」にもいろいろな種類があることがわかる。そもそも、疎(まば)らに開く、だから、原義は軍事作戦用語で、集団行動している兵を散らして攻撃目標となるのを避けることのようだ。 主人公は、千葉から実…

のりたまとすきやき

週に一回はスーパーに買い物に行く。地域で一番安い店に通っているのだが、すぐ近くに同じくらい安い店ができた。どちらもチェーン店なのだが、ライバル店にあえてぶつけて出店する戦略があるらしい。いつも購入する商品については、どちらの店がどのくらい…

砕けるような祈り

世間では、桜の花盛りである。ぼうっとした薄いピンクの雲がまちのあちこちに広がっている。公園や道路などの土地の造成で、そこら中に桜を植えすぎている気さえする。村里の遠景に、桜が一本目をひくくらいの方が、なんだか好ましい。 夕方、大井川の岸辺を…