大井川通信

大井川あたりの事ども

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

こんな夢をみた(締め切り)

テストの直前なのになんの準備もしていない、さあどうしよう、という夢はずいぶんみてきた。さすがに最近は頻度はだいぶへったが、社会人になってからも見続けた。実際の生活では、仕事が間に合わなかったり、成果がでなかったような失敗は絶えずで、仕事に…

『蜜柑』と『檸檬』

読書会の課題図書で、梶井基次郎(1901-1932)の短編集を読んだ。学生時代、愛読していたつもりだったが、『檸檬』以外はあまり記憶に残っておらず、今読んでもピンとはこない。『檸檬』は別格という感じがするが、もし梶井が『檸檬』を書いていなかったら…

表札をかえる

実家を取り壊すことになって、いくらか実家の備品を持ってきたけれど、その中に表札がある。父親が知人に彫ってもらった木の表札で、おそらく40年くらいは玄関にかけられていた。ずっと両親の面倒を見てくれて実家の管理をしていた姉だけれども、この表札に…

民博の展示室にて

万博記念公園に出向いた際に、国立民族学博物館(通称は民博)によって展示室を見学した。この手の地味な展示に関しては、飽きっぽくこらえ性の無い僕は、もともと苦手だ。世界の地理や文化についての関心も知識も薄っぺらだし、その上太陽の塔内外で相当歩…

『やねのいえ』 てづかたかはる+てづかゆい 2014

昨年末、ある会合で、建築家手塚貴晴さんの講演を聞いた。手塚さんは、真冬なのに青いTシャツ姿で、いつもそれで通しているのだという。ちなみに奥さんの由比さんは赤い色で、たしか二人のお子さんにも固定したイメージカラーがあるとのことだった。講演の…

大本教と八龍神社(その2)

大本教と大和良作、栗原白嶺との関係を簡単な年表にしてみよう。 ・大正10年(1921年) 第一次大本事件 ・昭和7年(1932年) 大和良作、栗原白嶺と共著出版。 ・昭和9年(1934年) 大和良作の主導で地元に八龍神社建立。 ・昭和10年(1935年) 12月第二次大…

大本教と八龍神社(その1)

地元の大井川歩きで、思わぬ場所で大本教の名前を聞いたことがある。 大井とは隣村にある地域なのだが、そこは組ごとに庚申塔が残っており、寺社も多く、古い信仰が守られていそうな集落だ。八龍神社という地図にものっている神社があるのだが、近所の人から…

彼女はどうして神になったか?

天理教の教祖中山みきが神がかりをしたのが41歳、大本教の出口なおにいたっては55歳のときである。二人とも、その時までは、農家の嫁や母親として、あらゆる苦難に耐えて、辛抱強く家族の暮らしを支えていた。 何十年という時間の重さは、半端ではない。僕も…

『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』 内山節 2007

魅力的な書名。信用のおける著者。活字も大きく薄めの新書。にもかかわらず、読み終えるまでにずいぶん時間がかかってしまった。ようやく手に取ったのが一カ月以上前だったと思うし、そもそも10年以上前の出版だというのが信じられない。まっさきに購入して…

『「太陽の塔」新発見!』 平野暁臣 2018

以前から、岡本太郎が気になっていた。彼の画集や評論を持っているし、展覧会も見たし、青山の記念館にも行った。ガチャポンの小さな作品模型もいくつかあるはずだ。しかし、彼が好きとは、表立っていいにくい。 この本を読むと、万博と太陽の塔の成功によっ…

万博記念公園を歩く

大阪の行く用事があったので、万博記念公園まで足を伸ばして、太陽の塔を見た。はじめてのことだ。内部公開の予約もしていたので、待ち時間、太陽の塔のスケッチをしたりした。塔は、外観、内部ともとてもよかった。そのことについては、別に書きたい。 塔に…

「闇綱祭り」 諸星大二郎 2013

昨年出版された『雨の日はお化けがいるから』所収のこの作品は、発表の雑誌で読むことができたから、該当ページをとりはずして保存してある。初期の頃のような、シンプルだけれども力強いイメージ。正直、今でも新作でこれだけのものが読めるのかとうれしか…

世代について

『現代社会はどこに向かうか』の読書会が終了。やはり、この本だけを対象にすると、著者の議論は突っ込みどころ満載という感じで、参加者の心を深くとらえるものとはならなかったようだ。見田宗介の全盛期を知る者としては、ちょっとつらい。 再読するといっ…

あなた、ハトじゃないわよね

田んぼのがひろがる脇の道でのんびり自動車を走らす。電線から大柄の小鳥が地面にダイブする。モズだろう。この冬もとうとうモズのはやにえを見つけられなかったと、ちらっと頭をかすめる。 畑の脇の小屋の屋根の上で、青い鳥がしきりに尾を振っている。その…

『現代社会の理論』 見田宗介 1996

読書会で、見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうのか』が課題本となり、昨年すでに読んでいるので、以前読んだこの本を再読してみた。 20年前には感激して、後書きにある「ほんとうに切実な問いと、根底をめざす思考と、地についた方法とだけを求める精神…

詩集「水駅」 荒川洋治 1975

今週の詩人、みたいな感じで、とりあえず荒川洋治(1949-)の詩集を持ち歩いてみた。わずか七編の処女詩集「娼婦論」(1971)が、やはり、たまらなくいい。とくに冒頭の「キルギス錐情」「諸島論」「ソフィア補填」と続く言葉の連なりは、神品としか思えな…

「氷の微笑」 星野之宣 1999 

『宗像教授伝奇考』から雪女に関するエピソードを取り上げた勉強会でのレジュメの抜粋。以下、エピソードの粗筋。 ・1930(S5) 与次平の母、結核のため療養所に隔離。 ・1937(S12) 与次平の父、山中で微笑しつつ凍死。・1946(S21) 駆落ちの女、独居の与…

手品の思い出(アストロコイン)

マッチ箱から、三本のマッチ棒を取り出し、テーブルの上に小さな三角形をつくる。その真ん中にコイン(金属のメダル)を置いて、カードをかぶせる。マッチ箱をそのカードの上にのせてから、カードごと取り去ると、マッチ棒で囲まれていたはずのコインが消え…

手品の思い出(コインの飛翔)

手品の種を買うだけではなくて、子供向けの手品の入門書を読んで、手品を覚えようともした。しかし、はっきり言おう。入門書に説明してある手品で、人を驚かせられるものなんてほとんどない。お金を払って買った種だって、使いものにならないものが大部分な…

手品の思い出(テーパー加工)

中学生の頃になると、友人たちの中には資金力にものを言わせて、いろいろな手品道具に手を出す者も出て来る。資金力では劣る僕だったが、幸いなことに、手品道具はそこまで高価なものではない。天体望遠鏡のように友だちの高額の大口径望遠鏡を指をくわえて…

手品の思い出(リングとコイン)

親戚のおばさんから「悟空の玉」を見せられた後のことだと思う。もう一つ鮮烈な手品体験があった。ある時小学校の通学路の途中で、手品を見せて売っている人に出会ったのだ。住宅街の中の学校だから、通学路でモノを売る人など珍しかったと思う。当時は、学…

手品の思い出(悟空の玉)

あきっぽい僕が、一番長く続けてきた趣味は、手品なのではないかと思う。本格的に習ったことも、大きな舞台で演じたこともないが、ずいぶん長く細々と演じ続けてきた。 はじめの記憶。小学生の低学年の頃だろうか、学校の先生をしていた叔母が、コップと玉を…

「幻想」を抜けて

自慢できることではないが、我が身を振り返って、つくづく旧時代の凡庸な人間だと思う。いろいろ理屈をふりまわしたところで、自分が実際にやってきたことがそれを物語っている。時代が求める常識を一歩もこえることがなかった。 まずは仕事。生活のため、生…

「ガラスの茶室 ー 光庵」 吉岡徳仁

知人に誘われて、デザイナー吉岡徳仁(1967-)の作った「ガラスの茶室」の展示を美術館に観に行く。想像以上によかった。魅入られた。 ステンレスの細い柱で組まれたシンプルな構造物。柱から少し内側に四方をガラスで仕切られた空間がある。屋根はシンプル…

子猫とてんかん

数日前、夜中こたつで本を読んでいたら、子猫のハチのゲージがガタガタとすごい音で鳴り始めた。ハチが目をあけたまま、身体を痙攣させている。手足を見たことのない動作でバタバタさせている。のたうち回って、トイレの砂が、大量に床に飛び散る。 どうした…

駅弁をめぐるイリュージョン

駅弁容器とミニチュア駅弁のセットを玄関に展示するプランが未遂におわった話を書くために、久しぶりにコレクションを取り出してながめてみた。やはりいい。このまま仕舞うのはもったいない気がして、何気なく職場にもっていくことにした。 明日から職場の若…

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る

この時期になると聞く言葉で、自分の口からも自然に出てしまう。ただし僕がはっきり記憶していたのは、二月以降の部分で、一月は行く、はあまり耳なじみがない。「二月は逃げる」の意味は、大正生まれの父親から、子ども時代に聞かされたような気がする。 一…

駅弁の悦楽と失望

旅を楽しむ余裕がないから、各地の駅弁を食べ歩いているわけでもない。半額弁当に血道をあげる人間が、スーパーの駅弁祭りとかでお弁当の最高峰である高額駅弁においそれと手をだせるわけがない。 では、なぜ駅弁なのか。昔、食玩(菓子に添付された玩具)に…