大井川通信

大井川あたりの事ども

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和最後の日

1989年1月7日。当時、僕は東京八王子で塾講師をしていた。前年から昭和天皇の病状の報道が続いていたが、早朝に「天皇崩御」の報道があった。通勤の道を歩きながら、いつもは目をあわせることもない通行人たちの表情が気になり、その一人一人とほとんど目く…

平成天皇の顔

僕の父親は戦中派で、戦争で苦労した人間だから、天皇と天皇制と神道とを忌み嫌っていた。天皇がテレビに映るとチャンネルを変えていたし、実家では初詣の習慣すらなかった。僕はそんな空気の中で育ったし、大学に入ってからも、学問の世界や論壇では、まだ…

忌野清志郎の顔

衛星放送を見ていたら、忌野清志郎(1951-2009)の特集をやっていた。93年くらいに制作された番組で、インタビューやライブ映像などを取りまぜている。国立のたまらん坂の上で「多摩蘭坂」を歌い、国立駅北口で「雨上がりの夜空に」を熱唱する。 まだ少しく…

ハチの葬式

約束の午後1時に、もち山のクロスミ様の前の道を抜けて、山向こうの葬祭場に家族でむかう。ハチが悪さをしたとき、「もち山にすててイノシシに食べさせちゃうぞ」と妻が叱っていたことを思い出す。 葬祭場は、納骨堂や共同墓地を兼ねているので、休日のため…

ハチのお通夜

昨年のクリスマスの前に、我が家に迷い込んできた子猫のハチが死んだ。てんかんの発作を持っていたけれども、月に一度、何分間かで収まる程度だったので、獣医と相談して、ゆっくり投薬治療をしていけばいいと思っていた。 今回の発作は、一度収まったあとに…

山猫と紳士とどちらが愚かか?

昔、小学校の授業の指導案で、宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』を読ませるときに、「山猫と紳士とどちらが愚かか?」という問いをもとに議論させるというものを見て、びっくりしたことがある。山猫にだまされて裸になり食べられそうになる紳士たちは確か…

テレビ局のプロデューサーの人ですか?

近くの街で仕事で会議に出るので、その前に黄金市場に寄ることを思い立つ。なんもかんもたいへん!のおじさんに会うためだ。JRからモノレールを乗り継いで最寄り駅へ。思ったよりスムーズに市場に着く。 モノレールは、長男が4年間大学への通学で使っていた…

井伏鱒二を読む

読書会の課題図書で、井伏鱒二(1898-1993)の短編を集めた文庫が指定された。初めは、今さら『山椒魚』かと少しがっかりした。今はその不明を恥じるばかりだ。 なにより驚いたのが、漫画家のつげ義春(1937~)との類似性だ。つげが井伏鱒二を好きだとは聞…

水回りを整える

数年前、風呂場の水道の蛇口の水漏れの修理をした。簡単だった。それで味を占めて、昨年、洗面台の温水と冷水を使い分けられる蛇口の水漏れを直そうとしたが、これは構造が複雑だから、部品を替えるしかないことがわかった。 それでも、とにかく水回りのこと…

ヤマシタキヨシさんの家

ヤマシタキヨシといえば、あの「裸の大将」だ、放浪の貼り絵画家だ、というのは、今の若い人たちにも通じるのだろうか。通じはしまい。人気テレビシリーズが終了したのは、20年前。その特別編として数作が放送されてからも、10年が経つ。せいぜいドラッグス…

町家というもの

港町津屋崎の中心に構える豊村酒造の建物について、文化財修復の専門家の話を聞く。酒造全体では、明治から大正にかけて蔵などの諸施設が建設され、建坪千坪に及ぶ建物群を形成しており、歴史的な価値をもっているそうだ。しかし、やはり目を引くのは、店舗…

『科学の学校』 岩波書店編集部 1955

五巻セットの本が届く。箱はだいぶ古びているが、中身はきれいで思ったより状態がいい。長年心の片隅にひっかかっていた本を手にして、感無量だ。 敗戦後まだ10年の年に出版された子どもむけの科学の本。各巻は「宇宙と地球」「生物と人間」「物質・熱・光」…

鳥にも年齢がある

子どもの頃持っていた理科学習漫画『鳥の博物館』を古書で手に入れて、パラパラとめくっている時、「ながいきくらべ」というページがあった。トビが120年生きるなんてことが真顔で書かれていてびっくりしたが、さすがにそんなことはない。それでも、実際には…

『いつもそばには本があった。』 國分功一郎・互盛央 2019

僕より一回り若い論者による、本や研究をめぐる往復書簡。「一回り」とは古い言い方だが、なるほど世界が更新されるのに十分な期間なのかとあらためて思った。「十年一昔」という言葉もあったっけ。 いわゆる哲学・現代思想といわれる分野の専門家たちだから…

『世界の戦闘機』 秋本実 1969

勉強会仲間の吉田さんに、近頃子どもの時の本を集めているという話をしようと思って、たまたま届いたばかりのこの本を持参した。すると彼の目の色が変わる。吉田さんもかつて飛行機好きの子どもだったのだ。それでしばらく、スカイホークやらイントルーダー…

『日本のパワーエリート』 田原総一郎 1980

1980年は、僕が高校を卒業し大学に進学した年だ。時代の大きな変化は、その少し前から始まっていたが、巨視的にみれば、消費社会が成立し、ポストモダンといわれる時代が始まるメルクマールとなる年に区切りよく環境が変わったのは、振り返りには便利である…

日曜日のデデポッポ

日曜日の朝、外に出ると、デデポッポポー、デデポッポポーと、どこからともなくのどかな調子のキジバトの声が聞こえる。こればかりは、住む場所が千キロ離れようが、50年の時間を隔てようが、変わらない。 それで、ブログに、「日曜日のデデポッポ」という記…

職人さんたちと

学校を卒業して、保険会社で働き出したころ。当時、事務処理でようやくコンピューターが登場したばかりの頃で、日常の図表などはふつうに手書きしていたし、計算も電卓だった。どちらも苦手な僕は、勝手の違う世界にすっかりくたびれていた。 人と紙の商売と…

『滅びゆく武蔵野』 桜井正信 1971

今日届いた古書。武蔵野の古刹や風物を写した本で、モノクロの写真は重々しく、解説も文学的で重厚だ。思い出深い本だが、市立図書館で借りていたもので、自分の本ではなかった。 僕は、中学生の頃、地元の寺を訪ね歩くのが好きだった。多摩地区だから有名寺…

コスモスの開店で、黄金市場もいよいよあぶない!

市場の路地にすわりこんで商いをしているおじさんは、標記の口上を繰り返す。「コスモスから一万円もらっているので、私も黄金市場で宣伝しなきゃいけない」と冗談を交えながら。 半分開けられた店のシャッターの中は相変わらず段ボールが積み重なっており、…

『鳥の博物館』なぜなぜ理科学習漫画 1966

僕が子どもの時から学習漫画というものはあったが、自分で持っていた記憶があるのはこの一冊だけだ。出版時期や内容からいって間違いないだろうと注文したのだが、郵送で届いた本には、古い友人に再会した感激はなかった。こんな本だっけ。しかし、ところど…

『航空の驚異』 小森郁雄 1971

少年少女向きの固めの評論のシリーズだったポプラブックスの一冊。本の後ろのページにあるポプラブックスのラインナップを見ると、興味深いテーマが並んでいるが、僕が読んだのは、他には『公害のはなし』くらいだ。その本では、アメリカの市民運動家ラルフ…

『たぬき学校』 今井誉次郎 1958

小学生の時、自分のおこづかいで買った記憶がある。懐かしくて、一度県立図書館で借りて読んだことがあったが、今回はネットの古書で手に入れることができた。 ポン先生は、いつもタヌキの子どもたちに漢字百字の書き取りの宿題を出している。ある日、優等生…

子どもの頃の本をあつめる

僕は子どもの時の本を一冊も持っていない。絵本や物語や図鑑、教科書も含めて。大人になってから懐かしくて手に入れたものはあるが、現物として残しているのは、せいぜい高校の時の本が数冊あるくらいではないか。 父親も本しか趣味の無い人だったけれども、…

大井で花見に歩く

年度がわり前後の忙しさが一段落して、久しぶりの大井川歩き。テーマは花見。間に合ってくれただろうか。 まず、ババウラ池をのぞく。稲作に備えて水をためた池に、ちゃんとカイツブリの夫婦がいる。少し離れたイケノタニ池にも。一昨年は、早めに水の抜かれ…

おとうさん、まるで新婚のごとありますね

あっこさんのお店でカレーを食べながら、地元でお年寄りの介護の仕事をする友人たちと話をする。 デイケアの利用者で、最近古い屋敷を離れて、新しい入居施設に入ったご夫婦がいるという。本当は、自分たちの家と土地で暮らしていたいはずだ。おばあさんは、…

『女ごころ』 サマセット・モーム 1941

井亀あおいさんが最期の時に手にしていた小説。2014年に出版の最新の翻訳で読む。たまたま買っていて手元にあったのだ。 原題は小説の舞台を示す『別荘で』というあっさりしたもので、こちらの方がずっとよい。いかにもかつての日本人好みの邦題だが、モーム…

旅の途中のオオソリハシシギに会う

昼休み、浜辺を歩いていると、ミサゴが海の上を砂浜と並行に飛んでいく。筋肉質の白い姿に見とれていると、また一羽あとを追うようにして飛行する。青空をバックに直線的に羽ばたき、滑空する姿は美しい。 ミサゴを見ると、ついつい近くに知り合いがいると…

井亀あおいさんのこと

10年前に小山田咲子さんの本を読書会でレポートした時に、夭折した若者の日記で公刊されているものを探して読んでみた。有名な高野悦子の本は再読だったけれども、初読の時と同じく、平凡であまり魅力が感じられなかった。 驚いたのは、それほど世間には知…

流全次郎の旋風脚

いとうせいこうが、「通信空手の有段者」だという記事を見て、自分も高校時代に通信教育で中国拳法を習っていたことを思い出した。というと、ずっと忘れていたみたいだが、実は、ことあるごとにそのネタで笑いをとってきたのだ。 さらに本当のことをいえば、…