大井川通信

大井川あたりの事ども

2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

僕の短歌

何事についても、それを考えるための手がかりは、自分が生きてきた時間と空間のうちにある。そこで短歌については、まず伯父とのかかわりが出てきた。では、僕自身、短歌を意識して作ったことはあるのか。これはまったく記憶にない。 詩なら、学生時代の草稿…

皇后美智子の短歌

読書会で永田和宏の『現代秀歌』を課題図書にした。哲学書や思想書を扱う読書会なのだが、僕の選書の順番だったので、そもそも短歌とな何なのか、という問いを短歌とはすこし距離のある場所で話し合うことができたら、というのが目論見だった。そのことを通…

伯父の短歌

もう30年も前の話になるが、従兄が、同じ演劇人同士で結婚をしたとき、青山の会館で結婚式を挙げることになった。親戚同士の顔合わせの小規模な式だったから、当時東京で塾講師をしていた僕が司会を頼まれた。 式が終わったあと、伯父から手渡された鉛筆書き…

『長谷川龍生詩集』 現代詩文庫18 1969 

長谷川龍生(1928-2019)の訃報が、数日前の新聞にあった。年譜を見ると、僕の母親より一年早く生まれ、一年遅く生きたことになる。 手もとにある詩集を追悼の気持ちで読んでみると、これがけっこう面白い。1950年代に書かれた詩が中心なので、その時代の雰…

小説『失踪』を構想する

『濹東奇譚』の中で、主人公大江匡は、小説『失踪』を構想し、その資料を集めることを、町歩きの目的の一つとしている。しかし、作中、『失踪』は、家庭から出奔した元中学教師の種田が、女給のすみ子のアパートに逃れて、二人の将来について語りあうところ…

『濹東奇譚』 永井荷風 1937

読書会の課題図書だが、僕には思い出深い小説。手元には父親の形見の初版本の復刻版がある。 「濹東奇譚はここに筆を擱くべきであろう。然しながら若しここに古風な小説的結末をつけようと欲するならば、半年或は一年の後、わたくしが偶然思いがけない処で、…

小鳥たちの混群に包まれて

背の低い木々の明るい林の中を歩いているとき、突然、周囲に小鳥たちの気配がして、いつのまにか小鳥たちの群れに包まれている時ほど、鳥好きにとって至福の時間はないだろう。 これはおそらくカラ類の混群(いくつかの種類の小鳥が交ざった群)だろうと思い…

ゲンゴロウとガムシの食欲

この夏は、十年ぶりくらいにゲンゴロウとガムシを飼っている。 大き目のガラス瓶の底に砂利をいれてたもので、ハイイロゲンゴロウを二匹。小さめのガラス瓶にも同じく砂利を入れて、ウスイロシマゲンゴロウとヒメガムシを飼っている。 エサは乾燥したイトミ…

自分の子どもには最後までかかわらないといけない

職場の先輩のことば。 子育ては、むずかしい。自分ひとりが生きることだって、とてつもなく大変で、ふりかえれば欠落ばかりなのだから、まして他者の人生に大きく関与するふるまいが、うまくいかないのは当たり前なのかもしれない。 それなりに関わってきた…

深夜の楼門

深夜に衛星放送を見ていたら、三億円事件をモデルにした昔の二時間ドラマ「父と子の炎」を放映していた。事件は未解決だけれども、フィクションで真犯人の姿を描いたものだ。 事件は、高度成長期の1968年。ドラマの制作は消費社会の入り口の1981年。この13年…

ネタ作り

漫才師でもお笑いタレントでもないけれど、僕は、いつもネタ作りに励んでいる。ネタといっても、面白い話のネタ、といったほどのものだ。意図してやっているというより、無意識のうちに、結果的にそうしてしまっているのだ。 こんなふうに毎日ブログを書いて…

吃驚する啄木

何すれば/此処(ここ)に我ありや/時にかく打驚きて室(へや)を眺むる 石川啄木の『一握の砂』の中で、この歌は、有名な「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」の次に置かれている。 すると、先の歌が、不本意で不甲斐ない自…

諸星大二郎の通勤電車

通勤電車に乗る人間は、電車内の人間たちだけでなく、沿線の風景にも無関心になる。これは僕にも経験があるが、たとえば沿線の途中の駅について、何年も同じ路線を通っていて、定期券でいくらでも途中下車が可能であるにもかかわらず、特別な用でもなければ…

啄木の通勤電車

読書会で、石川啄木(1886-1912)の歌集『一握の砂』(1910)を読む。啄木24歳での、生前出版された唯一の歌集だ。全551首のうち、通勤電車の風景を詠んでいると思われる歌が三首ある。 こみ会へる電車の隅に/ちぢこまる/ゆふべゆふべの我のいとしさ いつ…

戦没者の概数

終戦記念日の翌日の新聞朝刊に、日本人の戦没者の概数を示す地図が掲載されていた。日本軍の最大勢力範囲を示す赤線の内側に、地域別に大小の円の大きさで戦死者の概数を表していた。 例年この時期には、戦争に関する報道が多くなる。子どもの頃から、多くの…

水田という演劇空間

以前、長期の演劇ワークショップに参加したとき、演出家の多田淳之介さんから教えられたのは、舞台の空間全体を見渡して、そこここで行われていることに反応する、ということだった。これは演者として舞台にたっているときだけではなく、観劇するときのコツ…

『田んぼの生きものたち ゲンゴロウ』 市川憲平 2010

子ども向けの写真絵本の体裁をとっているけれども、ゲンゴロウの生態についての総合的な知見を得ることができる本で、類書はなく、出版当時は、驚くとともに喜んだ。 著者の市川憲平(1950-)は、以前にタガメの繁殖戦略についての研究を、子どもむけの物語…

ゲンゴロウの歓喜

十数年前に、近所の田んぼにもゲンゴロウがいるのではないか、とふと思い立ち、近隣を歩き始めたのが、大井川歩きの原点だった。その夏に、10ミリ前後以上の大きさの中型種ではハイイロゲンゴロウとシマゲンゴロウ、コシマゲンゴロウを発見する。ろ過装置を…

読書という次元移動装置

月に一度の吉田さんとの勉強会。今日も、ファミレスで夕食を食べ、ドリンクバーを飲み続けながら、五時間以上話をする。 僕は、『ファンタズム』と『黒衣の使者』と『アジャストメント』についての記事を組み合わせたレジュメを用意した。吉田さんは、戦争映…

銀婚式

今日は、入籍してから、25年目の日。区切りがいいから、さすがに意識していて、夜家族で外食にいく。といっても、ふだんより少し予算をかけたくらい。 帰ってから、四半世紀というのには何かあるかな、と思って調べると、なんと銀婚式というものだ。うかつ…

世界は小ネタでできている

商業施設の裏手で、何か見慣れない虫がとんでいく。落下地点にいってみたら、カミキリムシだった。ゴマダラカミキリより一回り小さく、身体の斑点が黄色っぽい。キボシカミキリの名前がすぐに浮かぶ。首が長めで精悍な印象。昼間から飛ぶ気満々で、すぐに羽…

『ファンタズム』シリーズ ドン・コスカレリ監督 1979-2016

90年代の初めの頃、ホラー映画ばかり見ていた時期がある。レンタルビデオ店のホラーコーナーを借りつくしたくらいだった。当時もすでに『ファンタズム』はマニアの間では有名で、1979の1作目と1988年の2作目、1994年の3作目はみていたと思う。その後、1998年…

「私は淫祠(いんし)を好む」

永井荷風(1879-1959)が東京の街中を散策したエッセイである『日和下駄』(1915)の一節。淫祠(いんし)とは、いかがわしい神をまつったヤシロやホコラのこと。 「裏町を行こう。横道を歩もう。かくの如く私が好んで日和下駄をカラカラ鳴らして行く裏通り…

「夢であった、―すべてが夢であった。どこに夢でない真実があるのか」

田宮虎彦(1911-1988)の小説「足摺岬」(1949)の末尾の文章。 昭和の初め、病に侵され大学を中退し足摺岬に死に場所を求めてきた「私」は、死にきれずに、遍路を泊める宿で、女将たちの介抱を受ける。80歳を過ぎた老遍路は戊辰戦争の生き残りで、薬を無償…

『アジャストメント(調整班)』 フィリップ・K・ディック 1954

フィリップ・K・ディック(1928-1982)のSF短編。 ある平凡な会社員の男が、ある朝、自分の会社に出勤すると、高僧ビルは灰色に変色し、粒子や塵の堆積のようにもろくなっている。なんとか自分のオフィスにたどりつくが、同僚たちも皆、灰色の粒子化してお…

鳥と猫の友だちの話

はじめは鳥の話。 高校の頃、一羽のセキセイインコが庭の物干しに止まったのを、母親が捕まえて、家で飼うようになった。羽の先が背中でクロスするのが特徴だった。家族で可愛がっていたが、僕が庭で鳥カゴを運んでいる時に落としてしまって、インコはカゴを…

『ある小さなスズメの記録』 クレア・キップス 1953

この世界のあらゆる生き物は、種類として、グループの一員として存在していて、その種の名前において認識される。スズメとか、タヌキとか、キリンというように。 僕が、今日生まれて初めてトラツグミを見た、と言って喜んでいるときも、たまたまその林の木の…

『かえるのエルタ』 中川李枝子 1964

僕が子どもの頃に持っていて、繰り返し読んで、おそらく今でも書店に並んでいる名作童話。カエルの話なので、何十年ぶりかで読み直してみる。 どうしてこの話が好きだったか、あらためてよくわかった。物語の不思議さと面白さ、言葉の魅力が詰まっている。 …

「自分自身の身体を使って、身の丈に合ったものを運ぶという、ヒトの原点にあったはずのつつましさを思い出すこと」

『〈運ぶヒト〉の人類学』(川田順造 2014)の末尾の文章から。岩波新書でも活字が大きく薄い本だが、碩学の深い経験と知見が盛り込まれて、読みごたえがある。 著者川田順造(1934-)は、「文化の三角測量」という方法をとる。全く関連がないかに見える三…

『カブトムシvs.クワガタムシ 強いのはどっちだ!』 本郷儀人 2015

著者の本郷儀人(1977-)は若手の昆虫学者。以前に『カブトムシとクワガタの最新科学』(2012)を読んで強く印象に残っていたのだが、それを子ども向けにやさしく書き直したような本だった。 『カブトムシ山に帰る』という本は、生活の中で身近な自然にとこ…