大井川通信

大井川あたりの事ども

2019-01-01から1年間の記事一覧

ゴッホの絵

社会人になってすぐに買った箱入りのゴッホの画集を、実家の書棚にずっと置きっぱなしにしていた。高いものではないが、何となく取り寄せて手元に置く気にならなかった。今回実家を処分することになって、そのまま廃棄するつもりだったのだが、急に捨てるに…

朔太郎の声

駒場公園にある日本近代文学館に初めて訪れる。吉祥寺図書館を見学して、そこにおいてあるチラシで、詩に関する企画展を開催していることを知ったからだ。早足で見れば、帰りの飛行機に間に合うだろう。 京王線の駒場東大前駅でおりて、東大駒場キャンパスの…

一芸に秀でる

講演で、ある芸人の話を聞いた。これが、「壊滅的に」つまらない話だった。なんというか、まるで引き込まれないというか、内容も面白くなければ、話術もなっていない。 そんな彼がなぜ講演の講師を務めているかというと、漫才師がまるで売れないために、やっ…

飛行機ポンポン

出張で東京を往復する。東京行きは、このところずっとスカイマークのボーイング737だ。 ひと頃のジャンボやエアバスに比べたら、ずいぶん小柄でほっそりしている。だいいち、エンジンも両翼に一つずつしかついていない。バードストライクとかで、エンジンの…

泉水をぬけて

次男が週末風邪をひいてしまって、月曜日会社を休んだ。夕方施設長さんから携帯に電話がかかってきて、次男が話をしているのを小耳にはさむと、だいぶ良くなったから明日は大丈夫です、と答えている。 まだだいぶ咳がでているのに。次男は正直で駆け引きがで…

『Q学』 田上パル 2019

田上豊さんの芝居を、昨年に引き続き観た。こちらのほうが田上パルという自分の劇団での上演作品だから、より完成度が高いもののはずだろう。しかし、僕には、昨年の作品の方が面白く、この作品は、観劇後10日ばかり経って、はやくも印象が薄れてしまって…

木彫りの熊とホシフグとミサゴの海

流木をひろおうと思って、砂浜を歩いていると、一抱えもあるような木彫りの熊の置物が打ち上げられている。鼻のあたりは無残にもげていて。またしばらく歩くと、小さな丸々としたフグが落ちている。全身黒っぽいが、無数の白い斑点が並んでいてきれいだ。あ…

『改訂 古建築入門講話』 川勝政太郎 1966

学生の頃買った本で、その時の書店まで覚えている。京王線府中駅近くの大きな本屋さんだった。一回手放してしまい、いつか手に入れたいと思っているうちに絶版となってしまった。 昨年500円で新刊書同然のきれいな本をみつけたのは、国立駅前の古本屋さんだ…

ビブリオバトルに行ってみた

知的書評合戦といわれるビブリオバトルに初参加した。たまたま出かけた地元の図書館でやっていたので、飛び入りで観戦してみたのだが、観戦者はだいたい20人ほど。 バトラー(本を紹介する人)は5人で、全員の発表のあとにチャンプ本を投票で決める。発表の…

「日本の住まいは腰から下の空間がとても豊かだ」

村瀬孝生さんの『ぼけてもいいよ』(2006)から。 近年の日本の住まいは、欧米のまねをして、ダイニングテーブルの高さからしつらえが始まり腰から下の空間が忘れられている、と村瀬さんはいう。もともと日本の住まいは、座面からしつらえが始まり、そこから…

キジも鳴かずば

職場近くの農耕地で、道の脇に大きな鳥の影が見えた。車をとめてよく見ると、キジのオスである。数年前、このあたりでメスを見た。家の近所の畑でつがいを見たのは、もう10年近く前のことだ。鳥見を続けていて、見たのはそれきりだから、市街地が広がるこの…

九太郎の儀式

明け方、はやく目が覚めてしまって起きだしていると、いつのまにか階下から九太郎がやってきて、ゴロゴロのどをならしている。ふとんがないから困るだろうと思って、横になると、案の定、僕の身体の上にあがってくる。 いつものように、両足で交互にふみふみ…

組物を手にして小躍りする

以前ホコラの修繕のワークショップでお世話になった建築士の金氣さんから、組物をいただいた。金氣さんが関わっているお寺の改修があるから、その時不要の組物を取っておいていただけるという話だったのだ。しかし、実際に手にすると小躍りしたくなる気分と…

高島野十郎の絵

福岡県立美術館に高島野十郎(1890-1975)の展覧会を見にいく。大規模な回顧展を見逃したりしていたので、ずいぶん久し振りに彼の絵を観た。 知り合いの現代美術家が高島野十郎の絵とかつまらない、と言っていたが、何の変哲もない風景画としてみればそのと…

『若菜集』 島崎藤村 1897

読書会の課題詩集として読む。そうでなければ、絶対に手に取ることのない詩集だったと思う。文語で七五調の韻文というもののハードルはやはり高い。 しかし、3作好きな詩を選ぶという事前課題によって、時間をかけて読み進めていくと、若き島崎藤村(1872-…

たかが棒、されど棒

地元のある集会に参加した。被差別当事者の運動体の研修会である。めったにない機会だったので、面白く楽しめた。 こうした運動団体、政治団体、宗教団体の例にもれず、参加者は高齢化している。主力は70代、60代で、ごく少数の「若手」といっても40代以上だ…

海をながれる河

詩人石原吉郎の命日と同じ11月14日に、ハツヨさんは亡くなった。62歳で亡くなった石原吉郎が生きていれば、ハツヨさんと同じ104歳になっていただろう。偶然、二人が同世代であることに気づいた。 昭和12年の結婚し、その後満州に渡ったハツヨさんは、敗戦後…

平等寺の歌姫

田中好さんからメールがあって、ひさのの住人ハツヨさんが亡くなったという。ちょうど一週間ばかり前にお伺いしたときに、眠りの合間に少しだけ声を聞いたところだった。 ハツヨさんは、大正3年(1914年)の104歳。昭和初めの頃の村の盆踊りでは、声のよ…

物言えば唇寒し秋の風

芭蕉の句から転じて、人の悪口(自分の自慢)を言えば後味の悪い思いをするというたとえや、余計なことをいえば災いを招くというたとえで使われる、と辞書にはある。 僕は以前から、苦い思いでこの言葉をかみしめることが多かった。現に今日もそうだ。ただそ…

悲しみはかたい物質だ 

別の詩を探していて、この一行に目が釘付けとなった。石原吉郎(1915-1977)の「物質」という詩。今の僕の思いとは少し距離があるけれども、こんな詩に再会すると、石原吉郎の詩集をていねいに読んでおきたい、という気持ちになる。そんな気持ちのまま、何…

猫と私と、生まれなかった兄と

休日の昼間に、通信教育で四教科の試験を受けた。ネットで該当のページを開いて待機していると、指定の時間に問題文が見られるようになり、50分で回答を作成する。便利な世の中になったが、本当に久しぶりの試験で、だいぶ消耗してしまった。 と同時に、頭…

仏壇のゆくえ

旧玉乃井旅館の安部さんの書庫には、亡き友人のためのコーナーがある。その小さな書棚には、考古学を専攻していたという安部さんの親しい友人亀井さんの形見の本が並んでいるのだが、僕は以前から、その薄暗い一角が仏壇のように思えていた。 仏壇というのは…

ある講演会にて

出口治明氏(1948-)の講演会を聞く。ビジネスマン出身の読書家で現大学総長という肩書は、ちょっと敬遠したいタイプではあるが、話は明快で面白かった。いかにも実社会で練れた人柄にも好感を持てた。 この30年間の日本の衰退は、新しい産業を起こすことが…

父親と落語

父親は渋谷道玄坂の生まれだった。戦前のことだから、父親の家族は転々と借家を替わったらしい。今でいうと「懐古厨」というのだろうか、父親は、昔住んでいた場所を訪ね歩くことがあって、何か所か、子どもの頃つきあわされたのを覚えている。もちろん、当…

九太郎のふみふみ

令和最初の日に、我が家にやってきた九太郎は、手のひらサイズで600グラムにもみたなかった。おくびょうで警戒心がつよかったから、同じころの八ちゃんのように自分から寄ってきて甘えるということはなかった。 先月に無事に去勢手術をすませて、体重ももう3…

缶コーヒーの思い出

最寄り駅の近くの自販機で、UCCのミルクコーヒーを販売するようになった。上から茶色、白色、赤色の帯で3色に塗り分けられ、真ん中にUCCのロゴが目立つ缶コーヒーを自販機で見るのは、本当に久しぶりな気がする。 遠慮がちに金額も80円と控えめだから、つい…

『先見力の達人 長谷川慶太郎』 谷沢永一 1992

経済評論家の長谷川慶太郎(1927-2019)が亡くなった。東西冷戦の終焉とバブルの崩壊の時代、この先世の中はどう動くのか不安になって、経済本を読み漁っていたときがあって、彼の本を読んだり、テレビで話を聞いたりしていた。 そのころ買って、読まずに手…

笠仏さま

笠仏(かさぼとけ)さまの絵本の製作が、頓挫している。聞き取りができたのが、4年前。3年前には、簡単な絵コンテを妻に渡した。妻が実際に絵を描いたのは、その1年後だが、その時には僕も気乗りがしなくなっていて、妻の絵を2年間放置している。 大井の…

大井のはちみつ

家を一歩もでたくない。ゼンマイがほどけてしまったような、電池が切れてしまったような休日が、僕にはよくある。そんな日は、本も読まずに、何も考えずに、昼寝をしたりして一日を過ごす。 お腹がすいたので、一枚の食パンを取り出し、はちみつをたっぷり塗…

こんな夢をみた(映画館)

テレビを見ていると、ドキュメンタリー番組に、昔の高校のクラスメートの女の子が出ている。とても目立たない人だったけれど、主人公の中年過ぎの女性は、まちがいなく彼女だと思えた。 何かの苦難を受けているのは間違いないが、それが家族の病気なのか障害…