大井川通信

大井川あたりの事ども

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

映画『眼の壁』 大庭秀雄監督 1958

松本清張の原作も1958年(昭和33年)の出版。前年の週刊誌連載中から話題になり、映画化が決まっていたようだ。原作は読んだ記憶があるのだが、内容はまったく覚えていなかった。 大庭監督と主演の佐田啓二(1926-1964)とのコンビは、映画『君の名は』(19…

こんな夢をみた(ゾウガメの侵入)

軽飛行機からスカイダイビングをした知人が、くるくると落ちていく。操作の説明の途中に誤って落下したためか、あるいは気を失っているのか、姿勢も立て直さないままだ。機内では大騒ぎだが、なぜだか僕だけは知人が無事である結末を知っていた。 知人はパラ…

オンライン読書会に参加してみた

ミーティング用アプリZoomを使った読書会に参加。最初は、音声を出すのにとまどったり、画面の使い方が良くわからかったりしてあせったが、慣れてしまうと難しいものではなさそうだった。 カメラで画像がとられているとはいえ、当然だが死角はいっぱいあって…

『スローターハウス5』 カート・ヴォネガット・ジュニア 1969

読書会の課題図書。コロナ禍で読書会がいくつかながれたため、少し間を空けたら、もともと苦手だった小説を読むスピードが、ふたたび遅くなっていた。そういうものだ。 「トラファマドール星人」は、時間を全体としてながめるために、一つ一つの出来事を過ぎ…

八ちゃんへの感謝

今日は、八ちゃんの命日だ。一年前の今日、八ちゃんは、大きなてんかんの発作に苦しんで、動物病院の診療台の上で亡くなってしまった。 その日の夜は、自宅でお通夜をして、翌日、動物霊園の斎場でお葬式をした。八ちゃんは小さな白い布団にくるまって、木の…

クロスミ様、出番です

大井の隣村の用山(モチヤマ)には、黒尊(クロスミ)様と呼ばれる謎のホコラが祭られている。江戸時代末に、伝染病を抑えるのに力を発揮したと伝えれる伝説の神様だ。遠い昔話だと思っていたが、この時節なので、お参りにあがる。 前にお参りしたときには、…

映画『ゼロの焦点』 野村芳太郎監督 1961年

原作は松本清張の1959年の作品。あまりにも有名ながら、未読。 制作年が、僕の誕生年だったのがきっかけで、ネットのビデオで観る。自分が生まれた頃の世界がどんなものであったのか、時々確認したくなる。自分の記憶や知識でばくぜんとしたイメージはもって…

キビタキとの再会

新しい職場の窓には、予想以上にたくさんの鳥が訪れる。コゲラとヤマガラとメジロから、いちどきに歓迎を受けたことは前に書いた。 いつも草むらでごそごそしているのは、シロハラだ。その近くで、草の実をついばんでいる小鳥だいるので、よく見たら、アオジ…

人間には「自信」が必要である

ソシオン理論によると、「私」は三要素から成っている。私から見た他者の像(モデル)と、他者から見た私の像(評価)。そして、私の自己像(アイデンティティ)とが、その三つだ。 ふつう「私」というと、他者から独立した三つ目の要素のみをいうのが普通だ…

人間には「期待」が必要である

仕事については、「鳴かず飛ばず」の人生を送ってきた。そろそろ終わりが見える頃にこんなことをいうのも情けないが、本当のことだから仕方ない。 社会人になったとき、あらためて自分は、欠点の多い、不器用な人間だということを痛感した。なんとかぼろを隠…

人間には「モデル」が必要である

それなりに長く生きてきて、腑に落ちたことの一つは、人間にはモデル(師匠)が必要だということだ。 僕の信奉するソシオン理論では、「私」を構成する三つの要素のうち、第一のものは「他者の姿」であり、人はモデルの姿を取り込むことで「私」となる。だか…

九太郎の近況

一歳になって、もうじき我が家に来て一年になる九太郎は、ずいぶん大人になった。そして、すっかり家族の一員という顔をしている。 まず、はっきり家族への対応に序列をつけるようになった。以前は、毎晩、夜中に僕の部屋に甘えにきたものだが、めったに来な…

作文的思考と「記憶通信」

玉乃井プロジェクトでは、現代美術というふだん縁遠いジャンルの作家たちと親しく接することができた。現代美術の作品から刺激を受けたり、その内容を実際に作文にしたりすることを通じて、自分の作文の間口を広げることにつながったような気がする。 参加作…

日本海海戦記念碑をめぐって・番外編【鉄の船、石の船、そして紙の船】

★玉乃井プロジェクトから10年後の現代美術展で、渭東節江さんが船と塩をモチーフにした作品の展示を行った。それに刺激を受けて書き、玉乃井での勉強会で報告したもの。 【鉄の船、石の船、そして紙の船】/「9月の会」2017.5.4戦前、安部正弘は、津屋崎の…

日本海海戦記念碑をめぐって⑦【安部正弘の戦後と船の家】

★この作文の結論として、僕なりに安部正弘の精神の襞をなぞるくらいのことはできただろうと思う。孫の文範さんの記憶によると、正弘氏は、小舟で自分用のスペースを作ってさえいたらしい。今では船型の客間も取り壊されて、正弘氏の特別な嗜好を知るてがかり…

日本海海戦記念碑をめぐって⑥【艦橋の上で】

★展示艦沖ノ島の代替物である海戦記念碑は、安部正弘にとっては「見上げる」ものではなくて、司令官として「乗り込む」施設だった。それに気づくには、実際に記念碑によじ登らないといけない。手前味噌で言えば、作文の機動性が本領を発揮した瞬間だった。 …

日本海海戦記念碑をめぐって⑤【記念艦「三笠」と展示艦「沖ノ島」】

★記念碑の足元の海岸には、かつて日本海海戦によって捕獲された本物の軍艦が展示艦として繋留されていた。これを実現させたのも安部正弘であり、その上さらに海戦記念碑を軍艦型で計画した彼の心のうちに迫っていく。 【記念艦「三笠」と展示艦「沖ノ島」】 …

日本海海戦記念碑をめぐって④【海と空の博覧会】

★有名建築家との因縁をめぐる調査から、一変、戦前の博覧会のハリボテへの連想とその根底にある呪術的思考への考察へとすすんでいく。こうした飛躍と思弁が、良くも悪くも僕の作文の持ち味かもしれない。 【海と空の博覧会】 では記念碑を戦艦の形にしてしま…

日本海海戦記念碑をめぐって③【建築家 徳永庸】

★徳永庸については、すでにこのブログに書いている。玉乃井プロジェクトの終了後、古賀市青柳の生家跡や国立市の旧居を訪ねたりした。福岡県内の作品では、旧福岡銀行門司港支店が結婚式場に模様替えされ、久留米市中心街のカトリック教会が改修を経て現役で…

日本海海戦記念碑をめぐって②【伊東忠太と幻の設計】

★地方の無名の記念碑は、意外にも伊東忠太という全国区の名前と結びつき、僕自身の故郷での記憶につながっていく。 【伊東忠太と幻の設計】 安部正弘氏の伝記『いのちの限り』には、海戦記念碑の建設の経緯に触れた部分があって、大正10年(1921年)に記念事…

日本海海戦記念碑をめぐって①【はじめに】

★13年前の玉乃井プロジェクトでの僕の作文「日本海海戦記念碑をめぐって」を、7回に分けて章ごとに紹介したい。なお、東郷平八郎の書による碑文は「紀念碑」と刻まれているが、この作文では、通常の表記に従っている。地元では知られた東郷公園と記念碑が、…

こんな夢をみた(東北の温泉町)

え、こんなに小さいの。 ヘリコプターかドローンの映像のように、上空から、その温泉町に近づくと、くぼ地に数十個の古い家屋が密集しているだけの場所だった。 歩いてみると、うらぶれた温泉町の突き当りには廃屋のような旅館があるばかりだ。街並みに不似…

作文的思考と玉乃井プロジェクト

僕の作文にとって、大きな転機となったのは、玉乃井プロジェクトの経験だった。それまでの僕は、本や思想家について書いたり、運動に対するイデオロギー批判を書いたりするだけで、いわばプロの批評家の真似事をしていることが多かった。 若い間は勢いで書い…

ヤマガラ・コゲラ・メジロ

三つとも、それほど珍しい種類の鳥ではない。こうした小鳥たちは「混群」といって、別の種類が一つの群れをつくって移動することがよくある。 それでも、街中の建物の窓から、一本の木に同時に三種類を見つける機会はそんなに多くはないと思う。 シジュウカ…

作文的思考と読書会芸人

読書会というものがなかったら、僕の作文の量はかなり減っていたのだと思う。長い人生の中で、途切れることなく自分の作文を書き続けることができたのは、少数の友人・知人たちとの読書会や勉強会のおかげだ。 その淵源は、学生時代にさかのぼる。当時、学生…

大井川花見歩き

なんとか一息付けたので、日曜日の朝、大井川周辺の桜を見に出かける。 しっかり覚えている場所以外でも、カンを働かせてうろ覚えの場所を訪ねると、桜は見事な花で出迎えてくれる。ほぼ満開で、やや散り始めている木もあるくらい。 ババウラ池には、水がた…

作文的思考と同和問題(その2)

イデオロギー批判とか、自己欺瞞の指摘とか、抽象的に言ってもわかりにくいだろう。具体的にはこういうことだ。 大学生の僕は、差別ということの大元が、「ひとくくり」であることに気づいた。ひとくくりにしてしまうから、どんな切り捨ても不当な扱いも可能…

作文的思考と同和問題

社会人となってから、僕は東京から地方へ転居した。地方には、東京では見えなった被差別部落の解放運動があって、偶然のきっかけから、同和教育や解放運動とかかわるようになった。 そこでの経験を通じて、僕はかなりのエネルギーを使って、多くの作文を書い…

作文的思考と「障害者」の運動

大学時代、岡庭昇を読んで自分なりの作文を書き始めた頃、地元の地域での運動にかかわった。きっかけは、成人式の自主開催を求めるみたいな集まりだったけれども、会場として使った公民館で、「障害」を持った人たちと出会うことになった。 公民館の青年学級…

作文的思考と岡庭昇

大学2年生の時に、国立中央図書館の書架で岡庭昇の『萩原朔太郎』を手にとって読むことがなければ、僕は今にいたるまで、作文を書き続けることはなかったと思う。 それは、自分の頭で、自分の手持ちの言葉で、誰それの権威によりかかることなく、外の世界に…