大井川通信

大井川あたりの事ども

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

生活を改善する

今月から、食生活を中心として、生活改善に取り組み始めた。まあ、ダイエットということだが。今までに何度となく行ってきて、中途までで投げ出してきたことだから、気恥ずかしいが、今度こそは完遂する。 やはり親しい友人が続けて突然の病魔に襲われたこと…

『分権は市民への権限委譲』 上原公子 2001

一昨日の読書に引きずられて、今度の僕の故郷の街の市長の講演録を読んでみる。偶然20年ばかり前の同じ時期を扱ったものだ。 この人は市民運動家だから、マスコミ人以上に理念や正義を振り回し、周囲とのあつれきを巻き起こす。自分の理念を実現するためにた…

巨石信仰いろいろ

職場の近くに小さな丘陵があって、古い時代の古墳や遺跡などがならび、一種の神域となっている。丘の入り口には、大きな岩が控えていて、岩自体も神様としてまつられているが、そこは熊野神社の境内になっていて、鳥居や立派な社がある。 そこから丘の上の雑…

『記者市長の闘い』 滝口凡夫 2002

地元の市で三期12年市長をつとめた著者の回想録。すでに20年が経った時点から読むと、市政の金権体質の克服も、市町村合併も、大学等の誘致の話も、どれも小粒で平凡な話に思えて、さほど興味が持てない。実際に関わった人間たちにとって、大変なエネルギー…

空に真赤な

詩歌を読む読書会で、北原白秋の詩集を読む。岩波文庫の二巻本で、あわせて600頁になるからかなりの分量だ。近代詩の中でも、白秋はまったく読んでなかったので、いろいろ感慨深く、気づきも多かった。国民的詩人と言われていたくらいだから、これが白秋の作…

『郵便と糸電話でわかるインターネットのしくみ』 岡嶋裕史 2006

積読本を読む。今さらながらだが、ICT関連についても、最低限の知識や見識は持っておきたくなったので。 通信の原理が段階をおって、絵図と漫画風の吹き出しでわかりやすく説明してあるので、なんとか最後まで振り切られずに読みすすめることができた。技術…

ネコジャラシのおみやげ

大井川の岸を歩いていると、ネコジャラシがたくさん生えている。ふと九太郎に遊ばせようと思って、数本を茎の根元から折って持ち帰った。 近ごろ、妻が100円ショップなどで、猫用のおもちゃを買うことが多くなった。プラスチックの細い棒の先に糸が結んであ…

ビブリオバトルのバトラーをする

この時期なので、オンラインでのビブリオバトルで、バトラーになって本の紹介をした。以下は、その時の原稿の一部。 みなさんは、自分の住所を聞かれたら、どんな風にこたえますか? たとえば、〇〇県△△市✕✕番地、とこんなふうに答えると思います。でも、こ…

カイツブリのゴミ屋敷

今年もババウラ池では、夏前にカイツブリのヒナを見つけることができた。例年とちがって水抜きもなく安心していると、ヒナも巣立った池に、親が一羽残っているのに気づいた。 道との境の灌木が切られてしまったために、丸見えの場所に浮き巣があるのだが、材…

次男の居場所

特別支援学校の高等部を卒業して老人介護施設に就職した次男は、四年目の今も、毎日仕事に励んでいる。先日スーパーのレジでバイトをしている中学校の同級生の女の子と話をした妻によると、大学4年生でコロナ禍の就職活動に苦戦しているとのこと。次男も大学…

母の誕生日

今日は母の91回目の誕生日に当たる日なので、姉に電話をする。降ってわいた災難の日であるような命日よりも、子ども時代から何回となく祝ってきた誕生日の方がなじみ深い。それで姉と僕は、自然と両親の誕生日に連絡を取り合うことになった。 もう実家も手放…

箇条書きではだめだな、箇条書きでは生きられない。

今村仁司先生は、晩年、東北の浄土真宗の僧侶たちと交流があって、13年に渡って勉強会を続けていた。その記録が、「無限洞」というグループの会報にまとめられている。先生の死後には、追悼のシンポジウムを開いて、それで特集号を編んでもいる。メンバーに…

『飛ぶ教室』 エーリッヒ・ケストナー 1933

ケストナー(1899-1974)の児童文学の名作が読書会の課題図書になる。 ファミレスで読んでいて、涙が止まらなくなり、鼻をかんだナプキンで空いたお皿がいっぱいになった。無垢で健気な子どもと善意の大人の物語というのが、自分にはツボだということがよく…

『お役所の御法度』 宮本政於 1995

霞が関の内情暴露の書である『お役所の掟』に続くもの。前著への日本の読者のたくさんの反響を、精神分析医として分析した部分があって、そこが面白かった。 第一グループは、50歳以上の男性。1944年以前の生まれである。このグループは、日本的な集団主義へ…

こんな夢をみた(鉄砲水)

今回の夢も断片的なのだけれども、情景がとても鮮やかだったので、書き留めておく。 場所の見当は、今住んでいる地域だ。国道の向う側のあのあたりという目星は着くのだが、実際のその場所とはまったく似ていない。夢の中の架空の土地といっていいのだが、に…

ヒトとの別れ/モノとの別れ

勉強会仲間の吉田さんが倒れた。幸い、心臓のカテーテル手術で回復し、一週間程度の入院ですんだそうだ。ただ、組織に所属しないで、身体や心の強さなどの個人の力で人生を切り開いてきた吉田さんには、今回の「臨死体験」は相当なショックだったという。 数…

手にふるる野花はそれを摘み

田んぼの片隅に、彼岸花が姿があらわす季節がやってきた。田園風景を身近に暮らしていると、3月の菜の花、5月の麦秋、10月のコスモスなど、あたりを塗り替えてしまうような大きな景色を楽しむことができる。彼岸花は本数は少なくとも、あちこちにできた深…

オニオントーストとゴーゴリの『鼻』

長いこと行きつけのパン屋さんがある。石窯で焼いたパンの種類が豊富で、一日中お客さんが多い。駐車場もたっぷりあって、店もこぎれいで明るい。店員さんたちもテキパキとして気持ちいい。なにより、パンが美味しい。 紙コップのコーヒーが無料でいただける…

再びビアスのこと

この際だからと、現在手に入るもう一冊のビアスの短編集、光文社古典新訳文庫シリーズの一冊を取り寄せて読んでみる。全14編のうち岩波文庫との重複は、4編のみだ。翻訳はこちらの方がいいような気がする。ただし、巻末の解説はダラダラと長いばかりで、焦点…

『お役所の掟』 宮本政於 1993

四半世紀前に話題になって、よく売れた本。当時読んで面白いと思った。今読み返しても、少しも色あせてなくて、いっそう面白かった。 著者は日本で医学部を卒業したのち、アメリカに留学して現地で精神分析医となり、大学の研究者にもなる。11年にわたるアメ…

『西光万吉』 師岡佑行 1992

「水平社宣言」の起草者として名高い西光万吉(1895-1970)の評伝。その後、部落解放運動を離れ、転向して国家主義者になるなどぱっとしない印象だが、本書を読むとそのイメージが間違いなのがわかる。 たしかに水平社の立ち上げと宣言の起草は立派だが、当…

『直感でわかる数学』 畑村洋太郎 2004

数学は苦手だったにもかかわらず、今でもたまに読み物風の入門書などに手を出してしまう。わかるようになりたい、という気持ちがどこかに残っているのだろう。たいていは開くこともないけれども。 この本は、ブックオフで200円で買ったもので、積読の運命に…

長男の転職

この9月から、長男が新しい職場で働いている。昨年12月に前の仕事を辞めて、実家に戻ってから、転職に8カ月くらいかかったことになる。二月にコロナ禍が始まり、リーマンショックをこえる経済停滞といわれ、一時は緊急事態宣言で外出すらできないようになっ…

ヒラトモ様の祭壇

以前、ヒラトモ様のお参りをした時に、ふと個人的な遥拝所を作ることを思いついた。年々、里山も荒れて、枯れた竹が道をふさぐようになり、ヒラトモ様を祭る山の頂上へ登るのが難しくなっている。 もうしばらくの間、僕以外で、お参りをしてホコラの落ち葉を…

嵐の前の静けさ

今までの経験したことのないような最強台風がくるという。土日に重なり対策が取りやすかったためか、スーパーのペットボトルや菓子パン類が売り切れている。息子二人といっしょに家の外回りを片付け、飛びそうなものをロープでしばったりした。 雨戸のない窓…

『学校の戦後史』木村元 2015

以前、政治学者原武史の『滝山コミューン1974』(2007)を読んだときに、近代以降の歴史について専門分野にとどまらない膨大な知識をもっている著者が、戦後教育の歴史について無知であることに驚いたことがある。この本を高評価でもって迎え入れた論壇や読…

ある演出家のアンガーマネジメント

昨日は、政治学者白井聡のネット上の暴言について書いた。彼は確信犯だから、形式的には謝罪したものの、自分のスタンスを変えるつもりはないだろう。 ちょうど同じ時期に、偶然まったくこれと反対の事例をネットで見つけた。演出家の多田淳之介さんには、か…

右翼と左翼

政治学者の白井聡が、松任谷由実に対して「早く死んだほうがいい」と自分のフェイスブックに書き込んだことで、批判にさらされている。彼女が安倍総理の友人としてその辞任に同情したために、「敵」と同罪と認定されてしまったのだろう。 確かにひどい発言だ…

『サキ短編集』 中村能三訳 1958

ビアスといえば、短編の名手サキ(1870-1916)の名前を連想したので、この機会にサキの短編も読んでみることにした。文庫本は5年ばかり前に手に入れていた。 21編の収録作品の内、心に引っかかったのは三分の一弱。おそらく文化や時代背景の違いのせいでピ…

『アウル・クリーク橋の一事件』 アンブローズ・ビアス 1890

昔から「胡蝶(こちょう)の夢」型というか、「邯鄲(かんたん)の枕」型というか、要するに今でいう「夢オチ」の物語が好きだった。 芥川の『杜子春』のようにそれがハッピーエンドに終わるのも悪くないが、死に臨んでみる夢という設定の意外性と悲劇性の組…