大井川通信

大井川あたりの事ども

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『子どもの道くさ』 水月昭道 2006

道くさは、「道草」だ。寄り道は「する」だけど、道草ならやはり「食う」だろう。しかし、道草をなぜ食べるのだろう。昔の子どもは、野草を食べていたのかしらん。 とここで、辞書の助けで、道草を食うのは馬であることに気づく。馬があたりまえの移動手段、…

九太郎の誕生日(祝二歳)

今日は猫の九太郎の二歳の誕生日だ。しかしここのところ九太郎は、ずっとご機嫌ななめで気がたっている。原因は、先月から同居猫になったリボンの存在だ。 ボンちゃんが来るまでの九太郎の生活はこうだ。 朝起きると、妻に「おかーん(おかあさん)」「おあ…

「楽ちん戦略」ということ

20代の頃、塾の専任講師を三年間やっていた。教育に志があったわけではなく、最初の会社を辞めて、生活のためにたまたま見つけた仕事だった。 塾では、小中学生に社会科を教えた。進学塾なので、クラスは学力別に、S、H、M、Bと分かれている。Bクラスはベイ…

サクラサク

読書会仲間である友人から息子さんが第一志望高に合格したという連絡を受けた。昨年の秋の読書会の三次会で、珍しく彼と二人きりになった時、息子さんの受験勉強をみているという話を聞いた。大学の英語教師である彼は、毎日帰宅後息子さんに英語を教えてい…

飛松の球状黄鉄鉱

新しい地元の市史を図書館から借りて読んでいると、意外な情報に出会った。釣川の対岸の河東地区にかつての金山(河東鉱山)があることは地元の人から教えられて、何度か訪ねて坑口をのぞいたりした。今度の市史には金属鉱床の記事の中に、飛松の「球状黄鉄…

2月23日

自分にとってだけ、忘れがたい日にちというものがある。私的な記念日ではあっても、結婚記念日や家族の誕生日や忌日であったりしたら、それはどこかの公的な記録に書きつけられている日付だろう。人が個人的に大切にすべき日にちとして、社会的にも公認され…

『電気蟻』 フィリップ・K・ディック 1969

ハヤカワ文庫のディック短編傑作選を読む。どれも粒ぞろいでひきつけられるだけでなく、しっかりした哲学的な問いを背景に持っていることに驚く。自己とは何か。現実とは何なのか。他者や、あるいは神とどう向き合うのか。ディックがSF作家として高名なのに…

『地域衰退』 宮崎雅人 2021

地方衰退の危機的現象を描いた本や、その中で元気な地方の事例や町おこしの実際を描いた本は多いが、類書とは違う個性(骨太の分析と処方箋というべきか)が感じられた。 データに基づき、国の政策の関与の問題点も指摘しながら、地方衰退のメカニズムを明確…

『田舎教師』 田山花袋 1909

読書会の課題図書。田山花袋(1871-1930)が漱石(1867-1916)よりも若く、この作品も『三四郎』の翌年の出版なのに驚いた。何となく漱石以前というイメージがあったので。内容もみずみずしく、十分読み応えのあるものだった。モデルとその資料に助けられ…

『地の底の笑い声』 上野英信 1967

上野英信の『追われゆく坑夫たち』は何度か読み返したが、同じ岩波新書の本書は、長く積読のままだった。ドキュメンタリーの迫力は前書にあるが、当時から半世紀以上が過ぎて、どこか遠いよその国のことのように感じられるところは否めない。 笑い話を通じて…

凍結の恐怖

今年二度目の寒波がやってきて、この地方の二度目の大雪となった。大雪といっても、職場の庭で計った積雪は、前回は6センチ、今回は9センチだ。特に今回の雪は、深いようでもふかふかで、比較的あっさりと溶けてしまう。 昨日からの雪にも、自分の中では車で…

『ニュー・アソシエーショニスト宣言』 柄谷行人 2021

柄谷行人の新著の新聞広告があったので、すぐに取り寄せて、読み終えた。柄谷の本でこういうことをするのは本当に久しぶりだ。インタビューによる雑誌連載などをまとめたもので、ここ20年の仕事を振り返るものになっている。 『トランスクリティーク』を書…

あだ名はうしろに伸びていく

あだ名や愛称の法則については、ここに何度か書いてきたが、それでわかったのは、人物のあだ名や愛称は、その後半の部分だけになったり、そこに何かが付加されたりで、うしろに伸びていく傾向があることだ。 一年前から家に戻って、すっかり兄弟仲がよくなっ…

積読の作法

僕は、自分が読む能力の範囲をはるかに超えて本を買ってしまう。すぐには読めないかもしれないが、手元においていずれ読んでみたいという本に手を出すからだ。これは、本好きにとって、かつてはごく当たり前の本の購入方法だったような気がする。だから積読…

『老いる家 崩れる街』 野澤千絵 2016

家。家。家。僕の頭の中は、おそらく家のことでいっぱいだ。子どもの頃は、家が世界そのもので、それは世界の中心であり続けた。よその家との比較ができるようになると、それは悩みやコンプレックスの種となった。社会人となって、家を購入すると、そのため…

100分の1

大学を卒業して、まず入社したのが生命保険会社だった。新入社員を集めて、4カ月間の研修が行われたが、そのメインは、1か月に渡る販売実習だった。二人でペアとなり、担当地区が決められ、ゼンリンの地図を片手に期間中に目標の件数の契約をとるというもの…

猫の集会

リビングで、長男と会話をする。昨秋に再就職した長男だが、今月に入ってからは緊急事態宣言の継続で、在宅勤務の日が多い。家族や猫とかかわるのが気晴らしになるのか、すっかり穏やかな表情になって、ふつうに話ができるようになった。 仕事の話から、本の…

橋の効用

職場の昼休み、広い河川敷を散歩するようになって、楽しみが増えた。街中なので、1キロばかりの間に、大きなコンクリート橋が3つ架かっている。もともと橋という構造物自体が好物なのだ。 誰もいない丘陵の上で、街を見下ろしながら詩を朗誦するのも楽しい…

大井里山身体見立ての巻

八五郎「おい熊公、お前さんとうとう大井の里山の縦走の山道を見つけたっていうじゃねえか」 熊五郎「八っつあん、さすがに早耳だね。大井林道を上がって、ため池の先の林道の終点の所から、山の斜面をのぼれるんじゃないかと、おれは密かににらんでいた。先…

「わが人に与ふる哀歌」 伊東静雄 1934

太陽は美しく輝き/あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ/手をかたくくみあはせ/しづかに私たちは歩いて行つた/かく誘ふものの何であらうとも/私たちの内(うち)の/誘はるる清らかさを私は信ずる/無縁のひとはたとへ/鳥々は恒(つね)に変らず鳴き/…

『白菜のなぞ』 板倉聖宣 2002

「仮説実験授業」で有名な板倉聖宣(1930-2018)が、1994年に学習用副読本として執筆した本を、一般の科学読み物として再刊したもの。新刊当時購入してから、20年近くたってようやく手に取った。 薄いのですぐに読めたが、とにかく面白かった。日本人が白菜…

里山縦走

大井の里山は東西に峰を広げているけれども、東端のヒラトモ様に上がる山道と、ヒラトモ様から中央の山頂部の三角点まで峰をたどるコースとは、何年も前に発見済みだ。西端の用山側から山に入る道が、うまく探しきれないでいた。以前一度強行突破したことが…

佐々木信綱の歌

詩歌を読む読書会で、佐々木信綱(1872-1963)の短歌のアンソロジーを読む。僕が選んだ三首は以下のとおり。 ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲 夜更けたる千駄木の通り声高に左千夫寛かたり啄木黙々と 白雲は空に浮べり谷川の石みな石のおの…

粕谷先生の思い出

中学校に上がると、剣道部に入った。スポーツが好きでも得意でもなかったのに入ったのは、親から言われたからと思っていたが、同じ部活に小学校時代の親友も多く入部していたので、その影響もあったのかもしれない。 顧問は粕谷先生という社会科の先生で、校…

すべての到着したものは此処に滞在し、古くから在るものはいよいよ処を得るでせう。

詩は、名作のアンソロジーで読むのが一番いい。特定の詩人の詩集では、読み手にとって当たりはずれがどうしても多くなる。専門的な読み手ならそれでもいいかもしれないが、一般の読者にはストレスが大きすぎて、本を投げ出すことになってしまう。 郷原宏が編…

衰えのステージ

今は、少しづつ老化し、衰えていくプロセスを生きている。それは当然のことで受け入れるしかない。子どもの頃や若い時に、成長のプロセスの中にあって、その変化を受け入れてきたのとまったく同じことだ。 ただし社会生活を送り仕事をしている以上、衰えてで…

河川敷の空中戦

冷たい寒波の風が吹くこの時期は、河川敷の散歩は気がすすまない。昼休みに銀行まで歩く用があるので、久しぶりに河原の沈下橋などを歩いていると、いいことがあった。下流から、しなやかな翼を広げた白っぽいタカが飛んでくる。ミサゴだ。それも二羽。 前に…

『不安な個人、立ちすくむ国家』 経産省若手プロジェクト 2017

数年前に話題になった本だが、これもパラパラとながめて、ほっぽり出していた。あらためて読むと、面白い。レポート部分は50頁にもみたないが、充実している。これを活用しないのはもったいないところだった。 結論部の提案は三点。高齢者を一律に弱者と見な…