大井川通信

大井川あたりの事ども

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

新型コロナウィルスに感染する ①(感染経路と発症)

5月19日(水) 昼前に、妻の知人が自宅に訪ねてくる。僕は不在。妻が玄関先で15分くらい立ち話をして、土産のミカンを受け取る。後で本人に確認すると、この時点で具合が悪く、やっとで訪問したというから、すでに発症していたのだろう。この知人は、自分の…

90年代の転回点(批評をめぐって⑤)

*勉強会レジュメの最後の部分。当時展開する余力がなく、メモでしかないが、そのまま引用しよう。15年経った今では、ここから先の認識こそが、言葉と行動の真価を問われるものとなっている。 【90年代の転回点-素描-】 ① 経済の凋落 バブル崩壊後の長期…

ナンシー関の戦略について(批評をめぐって④)

※ナンシー関の予言力について、彼女が亡くなって4年ばかり後の2006年に書いたもの。話題は、岸部四郎(1949-2020)。日本テレビ系列の朝のワイドショー「ルックルックこんには」の司会を、1984年から1998年まで15年に渡って務めた。「岸部が新司会者になっ…

80年代の外部なき社会(批評をめぐって③)

*80年代のイメージを、自分の好きなSF漫画や映画を使って楽しそうに論じている。北田の描く見取り図が確かな手がかりとなっていたからだろう。 【80年代の外部なき社会】 北田は80年代の理念型として、マスコミや資本という不可視の超越者に管理された…

70年代左翼と身体性の論理(批評をめぐって②)

*僕の思想的な出発点は、哲学・思想の古典でも、戦後思想の大家でもなく、北田のいう「70年代左翼」という中途半端な存在だった。このあたりに僕自身のマイナー感というか小粒感が現れてしまうのは、どうしようもない。 北田の本は難解でわかりにくいところ…

批判主義の帰趨(批評をめぐって①)

※これから引用するのは、北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』を読みながら、2006年の時点で、この30年ばかりの思想と自分とのかかわりを振り返る長いレジュメの一部である。 15年前、安部文範さんと始めたばかりの勉強会「9月の会」で報告したもので…

次男の子育て(番外編)

次男自身の口にした言葉をかき取ったメモが見つかった。小学校二年生の終わりから、小学校三年生にかけての時期。 小学校に入学してもしばらくは、独り言みたいな意味の取れない言葉が大半だった次男も、このころから、ようやく意味のある言葉をしゃべるよう…

大井炭鉱の思い出

5月18日の記事で、ミロク様発見の経緯について、紙版「大井川通信(その12)」の後半部分を引用した。今回は、残りの前半部分を引用する。 光陰矢の如し。力丸さんご夫婦だけでなく、天野さんもこの世を去り、森田さんも大井を出てしまった。松の木の枠が…

梅雨の晴れ間の大井川歩き

快晴だけれども、じとっと汗ばむような陽気。 ババウラ池を久しぶりにのぞくと、カイツブリのつがいが、豆のように小さな二羽のヒナと一緒に泳いでいる。浮巣には白い卵が残っているが、孵化できなかったものなのか、温めて遅れて孵化するものなのか。 二羽…

廣松渉の忌日

今年は、丸山圭三郎(1933-2003)との対談集『現代思想の「起源」』を手に取ってみる。1993年に出版された本の2005年の新装版だ。旧版の出版の年に丸山は亡くなっているし、同い年の廣松もその翌々年には後を追うように亡くなっている。 当時岩波書店の月刊…

ナンシー関の予言力について

田村正和について書くために、ナンシー関の本を久しぶりに取り出した。文庫本で20冊くらいあるが、別に単行本も10冊ほど持っていると思う。すぐ本を処分してしまう癖のある僕だけれども、持っていて良かった。これからも手放さないようにしよう。 ナンシー関…

追悼 田村正和

田村正和が4月3日に亡くなったそうだ。田村正和については、僕には、佐野元春やBand-Maidや「魔法少女まどかマギカ」についてよりも、いっそう書きにくい気がする。とはいえ、書いておきたいという思いも強い。しかし、何を書くのか。 やはりテレビの中の人…

『共産党宣言』をめぐるあれこれ

白上謙一が『ほんの話』で、学生時代、この書に「感銘といっただけでは云いつくせない影響をうけた」と書いている。当時この本が「国禁」の書で、白上が陸軍大将や首相を務めた林銑十郎の甥だったというのは興味深い。 しかし、それ以上に関心をひくのは、こ…

ミロク様発見から7年

7年前は大井川歩きを本格的に始め、大井川通信(紙版)を書き始めた年だった。1月20日に里山でヒラトモ様を発見し、以後地元の方からの聞き取りや文献の調査などで、ヒラトモ様の概要を探るのに5月までかかった。そうして7年前の今日、力丸弘さんの証言から…

独歩の『置土産』を読む

国木田独歩(1871-1907)の『置土産』(1900)は、名作『武蔵野』で「社会というものの縮図」を見ることができると指摘された「郊外」を舞台にした短編小説である。 舞台は小さな田舎町の町はずれにある茶店だ。三角餅という名物を売って繁盛している茶店の…

『ほんの話』 白上謙一 1980

今はなき社会思想社の現代教養文庫から、大学時代の思い出の一冊を再読する。 著者の白上謙一(1913-1974)が、勤務先の山梨大学の学生新聞に1962年から1971年までに連載した読書案内をまとめたものである。扱われる書物の幅の広さと辛口で小気味良い文章に…

ハッピーバースデー、梅雨(ツーユー)

今日でこの地方も梅雨入り。 平年で6月5日頃が梅雨入りというから、それより3週間ほど早い記録的な梅雨入りだそうだ。過去の記録を見ると、始まりが早いからといって必ずしも終わりも早くなるわけではないらしい。梅雨明けが7月中旬とするなら、二か月間もう…

セミと現代詩

セミは僕の大切な持ちネタで、このブログでもたくさん記事を書いてきたが、まだセミヤドリガのことについては書いていない。セミヤドリガとの出会いは、ちょうど10年前の夏の忘れられない思い出である。セミヤドリガのために、僕は生まれて初めて骨折をして…

『郷原宏詩集』 新・日本現代詩文庫 2013

郷原宏(1942-)は、若いころに、旺文社文庫の『立原道造詩集』や『八木重吉詩集』の解説者として親しんでいた。近年では、お気に入りのアンソロジー『ふと口ずさみたくなる日本の名詩』の選者として的確な批評の言葉に感心させられた。詩は、大昔、探偵を…

記念日と忌日

5月10日なメイドの日だったそうだ。それでBand-Maidの配信ライブがあって、それをいつものように(昨年に彼女たちを知ってから、4回目になる)楽しんだのだが、さすがにメイドの日については周辺知識がとぼしく書くことができなかった。これだけ惹かれている…

「デビュー50周年記念 諸星大二郎展」を観て

展覧会を観ながら、僕も諸星作品との半世紀近いかかわりを思い起こした。原画を前にしてのぜいたくな時間だ。 1978年9月 高校二年生のとき、書店で新刊の『妖怪ハンター』を立ち読みする。親友のナス君が面白いよと教えてくれた。 1979年6月 ヤングジャンプ…

オリジナルとコピー

絵画はオリジナルは一つしかなくて、子どもたちには、たいていコピーの複製画を見せることしかできない。しかし、絵本は一冊一冊がコピーではなく、本物の絵本だ。絵本の原画がオリジナルというわけではない。だから、子どもたちに手軽に本物を与えられる絵…

今年のセミの聞き始め

海岸沿いの松林を目指して歩く。薄暗い雑木林の中では、キビタキの声が響いている。ウグイスもあちこちにいるが、松が多くなっても、目当てのハルゼミの鳴き声はなかなか聞くことができない。 ギーコ、ギーコ、ギーコ。ゼンマイ仕掛けのオモチャを動かすよう…

石鎚山に登る

「ひさの」の好さんが、裏山の山道の整備をして、山頂に鎮座する石鎚神社までお参りできるようにしたという。先日、クロスミ様に案内したとき、用山の人たちが山道を整備して、今でも自分たちの神様の世話をしている姿に刺激を受けたらしい。お父さんたちの…

ヨシキリの舌にも春のひかり

職場の昼休み、久しぶりに河原に出ると、草原一面から何か騒然とした声が聞こえる。ギョギョ、ギョギョ、ギッ、ギッ、ギッ、チッ、チッ、ギョギョシ、ギョギョシ、というふうに、あちこちから色んな声で呼びかけられている感じなのだ。 カエルか虫かもしれな…

こんな夢をみた(仕事の日々)

大きな組織のビルで仕事をしている。(組織は今の実際の職場と関係があり、顔なじみの人も何人か登場している) この組織では、今はやりの仕事の再構築みたいなことだろうか、現行の業務のほかに、全員があらたなプロジェクトに参加することになって、職場は…

5月5日はこどもの日

叔父さんが亡くなって20年目の命日だから、従兄のけんちゃんにメールをする。早いものだ。亡くなる直前に病院にお見舞いしたとき、しきりに家に戻りたがっていた。「一番自然だから」と。その関係翌日に、叔父さんは病院で「不自然な」死を迎えてしまった。 …

勉強会とフィールドワーク(大井川歩きの方法論)

今月の勉強会のレジュメは、いつものようにこの一か月で書いたブログの記事から3つをピックアップして、A4二枚にまとめる。4月10日の「大井で『武蔵野』を読む」、4月19日の「幼児の記憶」、4月21日の「我が家の屋敷神」の三本の記事を選んだ。 手前みそだが…

青葉若葉の日の光

毎年当たり前に受け取っている季節と自然の変化だけれども、今年は、鳥や虫以外にもできるだけ気に留めてみたいと思っている。 4月の後半くらいから、気になるようになったのが、里山の新緑の勢いだ。ほとんどが常緑樹のはずだが、この季節に新しい葉をいっ…

行きも帰りもホームで食べる

次男は、遠くの街に遊びに行っても、食べるのはいつも駅のホームのラーメンだという。どうしても友人関係や社会体験の広がりがないから、お金があっても同じことの繰り返しになりがちだ。家族で、美味しいお店など教えてあげても、がんこに自分の方針を変え…