大井川通信

大井川あたりの事ども

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ドーピングについて

近ごろ、プロレスや格闘技関係の動画を見ることが多い。実際の試合の動画ではなくて、選手たちが当時の裏話をしているような動画だ。なぜ、こんなものを見るようになったのか。初めは野球関連の動画が、意外に面白いと気づいたためだ。 しかし、野球もプロレ…

本籍を移す

社会人になって東京を離れて、もうだいぶ時間がたつ。途中3年ほど実家に戻った時期があったが、通算しても九州で過ごした期間の方が長くなってしまった。 今の家を建てて、この土地に骨を埋める覚悟ができても、あえて東京の実家から本籍を移そうとは思わな…

ネコの近況

近ごろはステロイドが切れて、早い時間にリビングで寝落ちするようになった。夜中に起きだして自室に移動し、また眠っても早朝に目を覚ますことが多い。 早くから二階でガタゴトしていると、九ちゃんがその気配を察して、いつのまにかやってくる。一晩中人恋…

押し入れの中

図書館で新しめの絵本を何冊か借りてくる。 『おしいれのぼうけん』(古田足日他 1974)は名作の誉れ高いが、僕が中学生の頃の作品なので、リアルタイムに出会ってはいない。今年の3月で246刷。図書館でも何度目かの買い直しかもしれない。 いたずらをして、…

『マネジメントの基礎理論』 海老原嗣生 2015

サラリーマン生活が最期を迎える頃になって、大慌てで仕事やマネジメントに関する実用書を読んでいる。僕が所属してきたのは、ある意味とても緩い職場で、仕事の専門性も高いとはいえなかったから、こうしたビジネス本がそのままあてはまるような経験は乏し…

ガムシの研究

タイトルは羊頭狗肉だ。本当は、研究なんてものではない。せいぜい「観察」くらいのものだけれども、僕は、この「研究」というタイトルがつけたくてたまらない。子どもの頃の「夏休みの自由研究」あたりの語感に由来する偏愛だろうか。世間の片隅の個人ブロ…

別府の温泉に入る

国東訪問のついでに、別府に泊まることにした。家族の思い出つくりの意味もあるし、こういう機会でないと、旅行の機会のない次男に観光気分を味わってもらいたいためでもある。だから、ファミリー向けの一番大きくて有名なホテルを選んだ。 コロナ禍とはいえ…

国東半島をドライブする

コロナ禍で家族が感染したとき、いろいろとお世話になった妻の彫金の先生のアトリエを訪ねるために、国東半島にでかける。妻は、20年くらい先生の教室に通っていて、長男が小学生の頃は、連れて行って一緒に自動車やドラえもんを作ったりしていた。 今回は、…

クロスミ様にお礼参りする(阿弥陀様にも)

退院後、はじめて里山に入る。このところの猛暑で朝から暑い。大井の薬師様に手をあわせている人がいるので、聞くと大井台からだという。住宅街から旧集落に歩きにきている人は多い。 林道に入って、途中車をとめている人に声をかけると、ミカン畑の収穫の手…

カウントダウンを始める

明日は、オリンピックの開会式だそうだが、どうもピンとこない。世間の行事にはそれにあわせてそれなりに楽しむ方なのだが、やはりコロナ禍の世相に同調し、また自分事に集中しているためだろうか。新聞をやめて、記事の扇情的な見出しに触れなくなったこと…

早起きは三文の徳(カブトムシを拾う)

早朝、大井を歩く。 住宅街から、秀円寺の裏山に入り、石段を降りて境内へ。ここは、かつての里山の雰囲気がかろうじて残されたところだ。途中、石仏の六地蔵にお参りすると、すぐ裏の樹木から大きな鳥影が飛び立った。羽音がしない。フクロウだ。 秀円寺は…

保険とは愛を売ることだ

定年前後についてのマニュアル本で、日本人が無駄な保険に多く入っていること、とくに定年の時期になるとほとんどの保険が不要であることが指摘されていて、なるほどと思った。 ちょうど定年後の新生活に向けて、無駄な出費を削っているところで、最低限の保…

ハイフローセラピーについて

お世話になった病院から連絡があって、入院の個人負担分の請求書の準備ができたという。さっそく窓口に行って支払うと、領収書には、12頁にわたる診療明細書がついていて、入院中の治療の全貌がわかるものになっていた。 処置料の明細には、6月3日から7日ま…

『背骨コンディショニング』 日野秀彦 2014

今回のコロナ禍を体験して、自分が身体によって支えられていること、というかそもそも身体そのものであること、にもかかわらず、従来それをブラックボックスにしてしまって、それを故意に無視して暮らしてきたことを痛感した。 このブラックボックスをこじあ…

『定年前、しなくていい5つのこと』 大江英樹 2020

以前もこの手の定年関連本を手にとったことがあるが、これは比較にならないほどよい本だった。 大手企業を新卒から定年まで勤めあげて、定年後起業し、文筆家として成功しているという、かなり恵まれた境遇を背景にして書かれている、という前提条件ではある…

退院一か月(クスリの効用)

退院して一か月。 この一か月は、めまぐるしく考え、振るまい、持ち物を片づけてきた。もともと考えることと書くことはセットであるという自覚があったので、つたない文章をこのブログに書きつけて来たのだが、深く進路を考えることの根底に、自分の持ち物と…

カイツブリの決意

僕が入院中、ババウラ池では、カイツブリのヒナが3羽無事に育ち、退院後の新生活に気をとられているうちに、3羽とも巣立っていったようだ。 天候と人間の都合で水位が下がったり、水が抜かれてしまうようなため池の不安定な環境だから、ヒナが卵からかえり…

主治医の写真

一般病棟に移って数日後に、ようやく退院の許しがでて、初めて病棟の診察室に出向いて、主治医から検査結果の説明を受けることになった。白衣を着た主治医は、ごく普通の初老のお医者さんに見える。 初めて主治医に出会ったのは、病状が悪化してこの病院に救…

玉虫、飛ぶ

玄関先のケヤキの幹に、見える限りでも50匹以上のクマゼミがとまっている。こうしてみると、同じクマゼミでも色合いとか大きさとか形が微妙に違う。アブラゼミの姿はまったく見えないけれど、午後遅くなって、ジリジリというアブラゼミの声も聞こえるから、…

コガムシとゲンゴロウ

大井の田んぼで、はじめてゲンゴロウの仲間を見つけたのが2005年だから、それからもう15年が経つ。この辺りでも多少開発が進んで、秀円寺の前の田んぼも住宅街になってしまった。いつのまにか見かける水生昆虫の種類も減ってしまったような気がする。 にもか…

ヒメハルゼミとゲンゴロウ

コロナ騒動も落ち着いて、ようやく地元のセミの様子を調べる余裕がでてくる。 秀円寺の裏山から大井に降りようと近づくと、はやくもヒメハルゼミらしき声が聞こえてくる。一昨年、昨年と気づかなかった。秀円寺の並びにある和歌神社まで来ると、鎮守の杜では…

ホテルの窓を見上げる

コロナ感染症の治療で入院していた病院の周囲は、退院してすぐに歩いた。感染病棟の病室の窓や、一般病棟に移ってからの病室や廊下の窓を、入院中見下ろしていた風景の中に立って確認した。 一方、入院の前に缶詰めにされていたホテルの方は、退去して一か月…

見たくないものは見ないで捨てる

持ち物の中には、様々な過去の記録がある。その当時は、ぜひ残したいと積極的に判断していたものもあれば、自分にとっては苦痛な出来事の記録でも、いずれ役に立つことがあるかもしれないと保存しているものもある。 若い頃に書いた手紙の原稿などは、今では…

老前整理で持ち物を考える

今回、ここ何十年で記憶にないくらい徹底的な持ち物の整理をしている。きっかけは、コロナで死に直面した体験だけれども、それ以降、整理の手がとまらなくなったのは、別の原因が大きい気がする。 それはおそらく、僕が新しい仕事や生活を始めようと考え、そ…

ボンちゃんの誕生日

七夕は、ボンちゃん(リボンちゃん)の誕生日だ。女の子らしくていい誕生日だと思っている。 今日で、ボンちゃんも一歳になった。家族になって、ちょうど半年である。先輩猫の九太郎との関係もそれなりに落ち着いてきた。日中は、たいてい妻の机の回りに一緒…

カエルくんの獲物

我が家の玄関先には、ブリキのカエルの人形が置いてある。素朴なカエルの造形なのだが、起き上がった姿勢で、左肩に棒のようなものを担いで、人間みたいに歩いている姿だ。 その担ぎ棒の先端に、セミの抜け殻が二個ついている。よく見ると、空だった右手のて…

次男の子育て(介護の仕事)

次男が特別支援学校で就職活動を始めるときに、夫婦でどんな仕事がいいかよく話し合った。結婚してから、夫婦で一番真剣に言葉を交わしたテーマだったかもしれない。 次男は融通が利かずに、ちょっと不器用なところがある反面、集中力はある。だから、副担任…

10年日記の効用(その3)

こうして自分の50代の日々を通覧できる資料が手に入った。「仕事大全」のファイルも同じだけれども、そのずっしりとした重みを味わって、何度もぺらぺらとめくったりして、一冊へと物質化された時間を素手の感覚で扱うことが重要だ。僕たちがこうした作業抜…

田島様まで歩く

かつての聞き書きなどを読むと、かつて近在の村人や子どもたちは、大きなお祭りのときなど田島様(宗像大社)まで平気で歩いていたようだ。大井川歩き復活のイベントとして長距離を歩きたいが、今の体調では里山に入るのは不安がある。田島様までは片道4キロ…

10年日記の効用(その2)

今年はいろいろな意味で区切りの年になりそうだが、ちょうど自分がつけている10年日記の最後の年になる。 日記は、小学校の低学年の時から中学生まで、父の勧めで、というより完全に強制でつけさせられた。小学生の間はときどき父親がチェックして、つけて…