2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧
僕の今使っている部屋には、両親の仏壇めいたコーナーがあって、父親の蔵書だった本や実家にあった置物などを、両親の写真とともに並べている。そこにふと目をやると、一本の長い竹尺が目に入った。最後に実家を片付けたときに、懐かしくてもって帰ったもの…
8月に出版されたばかりの、免疫学者による最新の新型コロナウィルスとワクチンの解説書。題名は暴露本みたいだが、読むとおのずから、信頼できる専門家による信頼できる著作であることがわかる。 僕は自分の新型コロナウィルス感染症の治療を契機として、も…
スタインベックの『ハツカネズミと人間』のオンライン読書会に参加して、思うところがあった。評論系の読書会だと、自分の読みが他の参加者と全く違うなんてことは当たり前だが、小説系だとそこまでのことはない。 日本人は、理論を語ると自分勝手な方向に行…
学生時代に、哲学・思想書をかじってから、社会人として生活していく中で、細く、長く、乏しく、その読書を続けてきた。読書量自体はたいしたことはないから、むしろ時々立ちどまって、哲学・思想書が扱うような問題にあれこれ思いをめぐらしてきた、という…
読書会の課題図書。人間には仲間と土地が必要だ、という話。 【演劇】 レニーとジョージの(おそらくは不幸な)行く末が気になって途中までは、読むのがつらかったが、ある部分から急に読みやすくなった。カーリーの妻の死の場面のあたりで、これが演劇の舞…
久しぶりに車で、犬鳴トンネルを抜ける街道を使う。妻の要望で久山町の植木屋に行った帰り、次男を職場に迎えに行こうということになったために、その最短の経路だったからだ。 犬鳴峠は、今では全国的に心霊スポットみたいな場所として著名だが、地元ではず…
朝には元気だったカブトムシが、深夜帰宅してみると、昆虫ケースの中で仰向けにひっくり返って死んでいた。最後に入れた黒糖ゼリーをほぼ舐め切っているから、死の前まで食欲は旺盛だったのように見える。家に来て二か月。ほぼ天寿を全うして、人間でいえば…
読書会での課題図書。「反出生主義」を扱っていることで、話題となった本のようだ。 僕も『無痛文明論』や『感じない男』を面白く読んでいて、とくに前者はこれから生きていく上での参照軸になりうると思ったくらいなので、この本も楽しみにしていた。しかし…
猫を飼うようになってからは、猫を主人公にした絵本がどうしても気になってしまう。 しかし、そもそも絵本にはなんでこんなにも動物たちが多くでてくるのだろう。猫や犬については、ペットとして家族目線でふだん見ているからわからないでもないが、登場する…
このブログを書き始めたのは、2017年の1月からだが、記事を毎日更新するようにしたのは、その年の10月からである。だから、今月でちょうど丸4年、毎日記事を書いてきたことになる。 当初はブログの仕組みや機能もよくわかっていなかったので、とにかく生真面…
僕が子どもの頃の小学館の昆虫の図鑑は、虫の姿は絵で描かれていた。カラー写真を使うのが高価だった時代だったのだ。しかし写真だと、その一枚の写真うつりで印象ががらりと変わる。絵の方がその種類の標準的な特徴をもりこめるというメリットがあるだろう…
コロナ禍で二年ぶりに羽田師の講演会があった。コロナ禍のため、師の来日はかなわず、アメリカからのズームによるオンラインの開催だ。宗門の人たちが60名ほど参加していたが、いつもどおり僕はまったくの部外者として聴かせていただく。 ただ、例年、師は宗…
大井川のほとりにある種紡ぎ・ムラで、村の賢人原田さんが、詩と書と絵の作品展を開催している。葉書サイズの案内状を印刷して、テーマを掲げた個展を開催するのは初めてではないのか。賢人も気合が入っている。旧家の納屋を改造したギャラリー(納屋の二階…
カフェで絵本を読む計画について書いたが、さっそくあれこれ読み出している。名前を知っているだけの話題作にも気軽に手を出すことができた。たとえば『えんとつの町のプぺル』。ストーリーは古典的でやや平凡だが、絵の存在感はさすが。 『100万回生きたね…
上野千鶴子(1947-)の処女作。光文社のカッパブックスの一冊で、カバーに山口昌男と栗本慎一郎の推薦文がのっているというのも、何とも時代を感じさせる。両者とも前時代的な冗談を駆使して、この本の画期性や面白さを絶賛しているところも。 森岡正博の『…
8月末にステロイド剤の服用も終わり、医師の診断でも元の身体に戻ったということだったので、ようやく予約してコロナワクチンを接種する。地元の市では、すでに30代の順番に入っている。職場の同僚は、職域接種などで済ませている人が多く、ほとんどの人にな…
7月ごろ全国に衝撃を与えたこの事件は、少し離れた市で起きたものだが、次男のお世話になった特別支援学校の近くにあるので、すぐ近所の道を何度も通っている。 夏の暑い盛り、朝の送迎バスの中に5歳児を置き去りにして、午後まで放置してしまったという、と…
自宅から比較的近い場所で、全国ニュースになるような事件が続けて起きた。珍しく妻の方から、どんな場所で起きたのか見たいという。休日の半日を使って2つの現場をはしごすることになった。 一つは、発覚して間もない死体遺棄事件だ。市内の大きな住宅団地…
昨年、ある経緯があって、ネットで購入した古書。実物を手にしたことに満足して読む気はまったくなかったのだが、かつてこの書の書名で笑いあった同僚と再会する機会ができたために、ネタとして読んでみることにした。 意外なことに面白い。子どもの頃は引っ…
コロナ感染症から回復してから、初めてヒラトモ様の里山に入る。参道の整備されているクロスミ様にはお参りをすませたが、夏になって山道がいっそう荒れているはずのヒラトモ様には、遠方からの遥拝しかできていなかったのだ。長雨と猛暑で足が向かなかった…
いつも参加している詩歌を読む読書会で、田村隆一の詩集が課題図書になった。 田村隆一(1923-1998)は、戦後派の詩人の中でもとりわけ好きな詩人である。現代詩文庫も三冊買いそろえ、初期の名作だけでなく後年の作品にまである程度目を通している。僕にと…
闘病中の安部文範さんからハガキをいただく。驚き、かつ喜ぶ。 後遺症の影響かやや字体が違って見えたが、よく読むと間違いなく安部さんの文字だし、何より文体は安部さんそのままだ。コロナ禍で病院へのお見舞いはできないし、今年初めの段階では回復具合も…
昔からファミレスで本を読んだり勉強したりするのが好きだったが、近年ますますそうなっている。家ではリビングでも自室でもすぐ横になって寝てしまい、本も読めなければ、まして勉強なんてできないのだ。 ジョイフルが御用達だったが、緊急事態宣言期間中は…
自分にとって、モノ・ヒト・コトバの三つの軸を束ねたものが「中心軸」となるだろうということを書いた。そのうえで、ここ5年以上取り組んでいる「大井川歩き」の実践が、その中心軸を生活の場において探っていくような試みだったことに気づいた。 ここでは…
この夏は、和歌神社の銀杏の大木の下でカブトムシを何匹も見つけることができて、村の鎮守のビオトープ的な機能と、老木の効用について改めて思い知った。里山に入れば、大木が多く残されているが、集落の近くでは目立つ大きな木は数えるほどしかない。 鎮守…
以前は農村や峠の道で自動車にひかれた動物は、圧倒的にタヌキとイタチが多かった気がする。近ごろは、コロナ禍に自然の歯車も狂わされているのか、今までみたこともない生き物の轢死体を見かけるようになった。 いくらか前になるが、大きなイノシシが、歩道…
自分の中心軸に沿ってそれを明らかにする読書をしたいと思うが、その本を自分が心から楽しめるか、が一つの基準になる。民独学の本は、今までそれほど読んだわけではないのだが、読んだときは決まって楽しめたし、気になった本は買いためてある。 それで、積…
コロナ肺炎の闘病で自分なりに覚悟が固まったと思ったが、退院後一か月過ぎたあたりから、(おそらくは)治療薬ステロイドによるドーピング効果が消えて、頭と身体の働きが鈍くなってしまった。後遺症の倦怠感や疲労の影響が、遅れて出たのかもしれない。 不…
8月15日の「終戦記念日」に大井の田んぼで、大型ゲンゴロウ(正式な名称はコガタノゲンゴロウだからややこしいが)を見つけてから、足しげくその田んぼに足を運ぶようになった。こんなに田んぼをのぞくのは、10数年ぶりだ。 たしかに自然豊かな田んぼで、水…
職場の周囲には細い川が流れ、水路が張りめぐらされている。川をのぞくと、コサギやカルガモがエサを探してる姿を見かけるが、今の時期はトンボが飛び交っている。 銀色のシオカラトンボと黒い身体に腰の白が目立つコシアキトンボはすぐにわかるが、たくさん…