大井川通信

大井川あたりの事ども

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろと美し古典力学

『新・百人一首』からもう一ネタ。 永田和宏は、細胞生物学の京大名誉教授でもある著名な歌人だが、この代表歌について裏話をしている。「星の動きなどを記述する美しい古典力学に憧れて物理学に入ったのに、量子論となるとまったく理解できない。早々に物理…

『新・百人一首』 岡井隆・馬場あき子・永田和宏・種村弘(選) 2013

「近現代短歌ベスト100」が副題の文春新書。 すぐれた短歌を味わいたいと思って手に取ったのが、一読、正直なぜこんな歌が選ばれているのだろうと不可解に思う事も多かった。一方、以前から知っている歌については、なるほど素晴らしいと了解できた。 おそら…

ラミーカミキリその他

朝、玄関わきのケヤキに小さな虫がとまっている。電車の時刻も迫っているから、スルーしようと思ったが、何歩か戻って、写真だけは撮っておくことにした。 10ミリくらいの小さな甲虫だが、身体のカラーリングが面白い。きれいに黒白に塗り分けられているが、…

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

少し前に、寺山修司の歌集を読んだときに、このわかりやすい内容の歌は印象に残ったが、特別にいい歌だとは思わなかった。というより、何をうたっているのかわからなかった。 文春新書の『新・百人一首』(2013)を読んで、この歌の意外な解釈を知ることがで…

天皇について少し

三島を読んで、天皇についていくつか思い出したことがあるので、それを少し。 30年くらい前だと思うが、ドゥルーズ・ガタリの『アンチ・オイディプス』を翻訳した市倉宏祐(1921-2012)の講演を聞く機会があった。最新流行の思想の話が聞けると思っていたの…

『美と共同体と東大闘争』の続き

前回、東大全共闘の思想の空疎さについて書いた。一方、三島の言っていることは、その当否はともかく明確だ。ただ、集会の中での言葉だけに謎めいた発言もまぎれていて、そこが興味深い。 「ぼくらは戦争中に生まれた人間でね、こういうところに陛下が坐って…

『美と共同体と東大闘争』 三島由紀夫vs東大全共闘 1969

読書会の準備で手に取った角川文庫。確か何年か前にこの時のフィルムが公開されて話題になったと思う。 ざっと読んでの印象批評。とにかく東大全共闘の面々の言葉と思想のありようがひどい。当時流行していたマルクスをベースにした疑似哲学的な思想を、自分…

『げんきなマドレーヌ』 ベーメルマンス 1939

12人の女の子と、クラベル先生とが登場人物のとても楽しい楽しい絵本。さっと描いて動きのある絵もおしゃれでいい。舞台のパリにふさわしい。子ども向けの本には、たくさん子どもたちを描き分けているものがあるが、その走りかもしれない。 マドレーヌが盲…

漱石のナショナリズム

漱石の言葉は、問題の核心にまっすぐに届く。 「国家的道徳というものは個人的道徳と比べると、ずっと段の低いもののように見えることです。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテ…

独歩のナショナリズム

三島由紀夫の『憂国』を読んで奇妙な気分になった。絵に描いたような美男美女のカップルが、性愛と正義とが一致する行為として切腹と自死を選ぶ。その動機であるはずの国を憂うる気持ちも反乱将校への共感も、ほとんど具体的には描かれておらず、閉ざされた…

「へこむ・凹む」再論

国木田独歩の短編を読んでいたら、こんな文章を見つけた。 「僕が高慢な老人を凹ましたかのか、老人から自分の高慢を凹まされたのか分からなくなったが、兎も角、少しは凹ましてやった積で宅に帰り、この事を父に語った」(「初恋」1900) まさに、凹むのオ…

記号の諸相(昔書いた演劇メモ③)

記号と意味との関係を、記号の様々な有り様という観点で見てみると、以下のような特徴をひろうことができるだろう。 1.身体の連動・リズム 身体は連なって運動したり、不意に変身したりする。 2.言葉の連動・リズム 役者の言葉は連なって運動したり、不…

不一致と定点(昔書いた演劇メモ➁)

前回の理屈を踏まえると、現代演劇のいくつかの特徴、というかうま味のあるポイントをあげることができる。 1.役者と役柄との不一致 同じ役者が複数の役柄を演じたり、あるいは同じ役柄を複数の役者が演じたりすること。または、役柄を離れた役者が、舞台…

記号と意味(昔書いた演劇メモ①)

数年前小劇場の舞台を見始めたころ、最初に引っかかったのは、岡田利規の「役柄と役者の一致ということが、演劇を面白くなくしている正視に耐えないウソだ」という言葉だった。僕は岡田さんの芝居自体にはそれほど惹かれなかったのだが、彼の言わんとすると…

じろじろみる/じっとみる

昔みた演劇のパンフレットをみていたら、演出家の倉迫康史さんが、こんなことを書いていた。倉迫さんのつくる小劇場の舞台が大好きで、『夜と耳』は僕のみた最高の舞台だったと断言できる。 「演劇とはそもそも官能的な体験なのだと僕は思います。だって生身…

『漱石文明論集』 三好行雄編 1986

岩波文庫の一冊を、購入後20年して読んだ。『吾輩は猫である』からの流れなのだが、漱石の評論をじっくり読んだのは初めてだ。読んでよかったと思う。自分の年齢と読書量を考えると、何を読むべきか優先順位をつけることの大切さをあらためて感じる。 漱石は…

『仮面の告白』 三島由紀夫 1949

三島の自選短編集を読書会の課題図書で読んだのだが、どこにもひっかかるところがなく、付せんも貼れなかった。小説でもこんなことは珍しい。これでは読書会でしゃべることがない。 それで大慌てで、手持ちの『仮面の告白』を読んでみた。こちらは面白く、付…

『花ざかりの森・憂国』 三島由紀夫 1968

新潮文庫に入っている自選短編集。読書会の課題図書で読む。 三島自身の自己解説を読むと、その内容と技術にはかなり得意な様子がうかがえる。また三島自身がその思想や生き方で、さまざまな論点を提示している人だから、読書会での議論も、その論点を取り上…

ナンシー没後20年

ナンシー関が亡くなって、20年。それが6月なのは覚えていたが、日付まで意識したことはなかった。これからは彼女の忌日は大切にしたいと思う。 ナンシー関(1962-2002)は、僕が一番同世代を感じた好きな書き手だった。年齢は一つ違いで、ほぼ同じ時代の風…

『まだまだ身の下相談にお答えします』 上野千鶴子 2022

朝日新聞身の上相談コーナー連載記事からの三冊目。新聞連載時にも時々目を通していたが、どれも面白く、心に残る。他の相談者のものとは格段にレベルが違う気がする。 やはり男女の関係、家族の関係を主戦場にした理論活動をしつつ、実際にそこで戦ってきた…

へこむ・凹む

以前からちょっと気になっていたことがある。「押す」という言葉がアイドルの応援という場面に転用されてなるほどと思ったように、かなり以前に、ある言葉の転用に納得させられたことがあったのだ。 もう30年以上前で、20代で塾講師をやっていた時だった。講…

押す/押さない

定年後は仕事をしないという同年齢の知人にその理由を聞くと、「押し活」に専念したいからということだった。ロックバンド「エレファントカシマシ」のファンで、全国のライブにも参加しているという。 もうだいぶ前に、アイドル界隈で、推しメンという言葉を…

久しぶりにSF映画を観る

ワクチンの副反応で、関節痛がして体調がよくない。自宅で静養していても、本を読んだりする集中力がない。ふと思いついて、ネットで映画を観ることにした。映画のビデオなら特別な集中力がいらないし、体調の不調を一時忘れることもできるだろう。 ネットの…

ブリキのおもちゃ

少し以前の話だが、先月の吉田さんとの勉強会で、食玩のブリキのおもちゃのミニチュアを持参した。その前の月に横山光輝の漫画のキャラの食玩を紹介して盛り上がったことに味を占めたものだ。 もう二十年近く前になるが、食玩(玩具がおまけについたお菓子)…

漱石の「地域通貨」

昔、少年向けの文学全集などに、漱石のエッセイ風の小品が入っていて、読んだ記憶がある。あと、旺文社文庫の長編の付録みたいな感じでの収録もあった。 だから、漱石の小品集の標題にはなじみがあったが、その一つである『永日小品』(1909)を読み通すのは…

『「吾輩は猫である」殺人事件』 奥泉光 1996

石の『猫』を読了したので、以前からもっていた奥泉光のこの本を手にとってみる。奥泉光は好きな作家で、彼の小説は読まないまでもかなり集めてある。長いものが多く、たくさんの知識を背景に周到に構築された複雑な筋立ての作品が多いから、読めば面白いの…

「奇天烈」林間散歩

今の職場の前には大きな都市公園があり、アスファルトの周遊路がめぐっている。昼休みにそこをジョギングしたり散歩したりする人もいる。 しかし、その道は日差しがきついし、通勤時にその一部を歩いているから面白みがない。だから僕は、周遊路の内側の芝生…

奇想・奇天烈男

「奇想奇天烈・きそうきてれつ」という言葉はない。奇想天外(思いもよらない奇抜なこと)と奇妙奇天烈(ひどく変わっていて不思議なこと)とが混ざった造語だろう。 最近、妻から、あなたは奇想奇天烈だと指摘される。 意外だった。おかしいといえば、もと…

小劇場で芝居を観る

コロナ禍のせいで、しばらく芝居を観ていなかった。 来月に、知人の主宰する企画で、ダンスを読むというイベントに参加することになった。複数のダンサーによるコンテンポラリーダンスのパフォーマンスに対して言葉による解釈で介入していくという試みになる…

『熟語公式で訳す英文解釈問題集2』 篠崎書林 1993

高校の英語の授業は、当時、リーダー(読解)とグラマー(文法)とコンポ(作文)に分かれていた。といっても、みんなでそう言い慣わしていたからそう呼んでいただけで、授業の中身がきちんとその言葉通りに切り分けられていたわけではない。 教科書は指定さ…