大井川通信

大井川あたりの事ども

2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧

『忘れられた日本人』 宮本常一 1960

森崎和江の聞き書きを読んで、その魅力について考えたときに、次に読んでみようと自然と思いついたのが、この本だった。ずいぶん前に買って拾い読みはしていたのだが、通読したのは今回が初めてだった。通読して、解説で網野義彦が「最高傑作」とほめそやす…

痛みの連鎖

一か月ばかり、右足の膝のあたりに違和感がある。何かの拍子にちくりと痛むような気がして、歩くときに気になってしまう。普通に歩いていて実際に痛むようなことはないのだが、無意識に膝を気にしていて、それをかばっているのか、やや不自然な歩き方になる…

森崎和江を読む(勉強会レジュメ用編集版)

【『まっくら-おんな坑夫からの聞き書き』 森崎和江 1961】 どんな悲惨な労働や生活が語られていても、著者のインタビューを受けるのは、それをこなして生き延びてきた精神的な強者たちである。「その姿には階級と民族と女とが、虹のようにひらいている」女…

『いのちの自然』 森崎和江 2014

森崎さんの晩年に編集された詩やエッセイのアンソロジー。 以前、森崎さんの自宅前でたまたま挨拶すると、あがっていきなさいと声をかけられた。森崎さんは、不自由な足で玄関から道をはさんだ郵便ポストまで歩こうとしている時だった。 居間で一時間ばかり…

プチ大井川歩き

このところ足に違和感があって、用心して歩くのをひかえている。右ひざのかすかな痛みが続くから、それをかばって不自然な歩き方になってしまう。こうなると大井川歩きもご無沙汰になる。 通勤の電車の窓から、駅の近くの住宅街に気になるものを見つけた。背…

『日本断層論』 森崎和江・中島岳志 2011

日記をみると、僕は2012年の1月11日に、福岡女子大で森崎和江さんの講演を聞いている。その時、この対談本にサインをいただいて、宗像在住だというと気軽に「あそびにいらっしゃい」と声をかけてくれた。 その2年後の2014年3月24日に、隣町の里山を縦走して…

『まっくら』 森崎和江 1961

読書会の課題図書に自分で選んだ本。「おんな坑夫からの聞き書き」の副題がある。 一昨年に岩波文庫になって手に入れた時も読みすすめることができず、昨年森崎さんの訃報を受けても手に取ることができなかった。こうなると読書会に力を借りるしかない。近ご…

『語る歴史、聞く歴史』 大門正克 2017

「オーラルヒストリーの現場から」が副題の岩波新書の一冊。自分の大井川歩きでの活動の参考になりそうだと購入して、6年間の積読となっていた。少年老い易く学成り難し。今回、聞き書きについての考察の手がかりにしようと思って手に取ったのだが、思ってい…

なんもかんもたいへん、さようなら

昨日読書会で、今まで自分のやった聞き取りの報告をして、そのなかで黄金市場の「なんもかんもたいへん」のおじさんの話をした。それで懐かしくなって、久しぶりに北九州小倉の黄金市場に行ってみた。 僕が、市場の路地にしゃがみこんで野菜を売るおじさんの…

読書会レジュメ(聞き取りコレクション)

読書会で、森崎和江さんの『まっくら』を取り上げるにあたって、そもそも聞き取り・聞き書き(的なもの)が僕たちの暮らしや思想の中にどんな風にかかわっているのかが知りたくて、参加者がそれを持ち寄るのを課題にした。以下のレジュメは、僕自身の「聞き…

『吉本隆明1968』(鹿島茂 2009)をめぐるメモ 2009.6.26作成

吉本の偉さを若い世代に理解させる、という執筆の目的自体が奇妙である。しかし、吉本論に限っていうと、そのような姿勢で書かれたものが多いような気がする。 通常、思想家論、作家論は、その対象との苦闘の記録である。しかし、本書のような吉本論は、吉本…

『日本近代文学の起源』(柄谷行人 1980)をめぐるメモ 2007.10.20作成

柄谷行人の本を新著で読み出したのは、83年の『隠喩としての建築』からだと思う。その頃から柄谷は、一作ごとに新しい「問い」を生み出す同時代のカリスマ的な批評家と目されていたし、僕自身も、90年頃までが柄谷をもっとも熱心に読んだ時期だった。今…

大手拓次の忌日に

今日は、大手拓次(1887-1934)の忌日。昔からその存在にあこがれていた詩人を、昨年は初めて詩集を読み通して、読書会で議論し、前橋の文学界で大手拓次展を見ることもできた。 年度初めであわただしい中、ネットで目についた詩を引用して、追悼する。分か…

極私的読書会体験記 -〇〇読書会100回を記念して- 2010.10.22作成

【前史としての80年代】 80年に大学に入学した僕は、現代思想ブーム、ポストモダンブームの影響を直接受けた世代だった。在学中は現代思想の論者として知られた今村仁司さんのゼミにもぐったり、社会人となった後も、80年代末には、柄谷行人の講演に足…

『〈私〉の存在の比類なさ』を読む ー「名探偵ゲーム」で哲学するー 2010.10.22報告

【哲学の内と外】 永井均は、この本の中で、〈私〉をめぐる問題を、様々な哲学説を経由しながら哲学の語りで提示している。たしかに永井自身、子ども時代に気づいたこの問題を、哲学の専門的な勉強を通じてようやく理解できるようになったと別の本で語ってい…

『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』を読む 2009.8.21読書会報告

▼はじめに 小山田咲子さんのブログ日記は、たぶん誰が読んでも「楽しくて、勇気をくれて、考えさせられ」る文章だろうと思う。ただ、これは、多くのブログの書き手に比べて、相対的に小山田さんの書くものが優れているということにすぎないのだろうか。それ…

その自己欺瞞が許せない ー『滝山コミューン1974』再論ー 2010.12.18作成

3年ばかり前、読書会で政治学者の原武史が書いたノンフィクション『滝山コミューン1974』のレポートを担当した。 当日はドイツ人の参加者もいて、にぎやかで満足のいく会となった。報告への評価も「全然ダメだ」という人から「こんなレポートは初めて聞いた…

『滝山コミューン1974』を読む 2008.2.22報告

1 不在のコミューン 私が小学校6年生になった1974年、七小を舞台に、全共闘世代の教員と滝山団地に住む児童、そして七小の改革に立ち上がったその母親たちをおもな主人公とする、一つの地域共同体が形成された。(P19) こうして片山のもくろみは見事…

『知覚の呪縛』を読む(その3 ワラ地球)2007.4.20報告

Ⅲ 通勤空間 -ワラ地球への入り口としての- 【通勤空間のヒトカタ・イエカタ】 昨年から筑豊の田舎の事務所に職場が変わったので、車通勤になった。それまでは福岡駅や天神を経由して、人ごみを掻き分けて出勤していたのだ。ひさしぶりに天神に出たとき、行…

『知覚の呪縛』を読む(その2 概要)2007.4.20報告 

【序】 ▽精神分裂病という命名に対応するような、固定された実体としての精神的異常態は存在しない。途方も無い背理の渦巻きとして生きる病者の全体に迫ろうとする行為において、分裂病という名称を適切に用いることができる。(見てばかりではいけない。聴…

『知覚の呪縛』を読む(その1 読むこと)2007.4.20報告

【読書会の経験から】 学生時代から、友人との読書会、勉強会が好きだった。特別な本好きではなかったから、その時々に関わった会への参加がなかったら、卒業後に本を読み続けることはできなかっただろう。この読書会に参加してからも、10年が経つ。一般の…

田宮虎彦と武者小路実篤

今日は、田宮虎彦(1911-1988)と武者小路実篤(1885-1976)という二人の小説家の忌日だ。これを意識したのは初めて。 田宮虎彦は、昨年買った作品集第4巻から、「幼女の声」と「異端の子」の二つの短編を読む。前者は、大陸から苦労して引きあげてきた幼…

『嗤う日本の「ナショナリズム」』を読む(その2)2005.12.16報告

2.概要 序章 ○二つの二律背反 2005年・「電車男」…お仕着せの感動物語を嗤いつつも、感動を求めずにはいられない2ちゃんねらー(2チャンネルの投稿者)たちが作りだした「純愛物語」。・ 窪塚洋介…代替不可能な「この私」のリアルの前に、ロマンティ…

『嗤う日本の「ナショナリズム」』を読む(その1)2005.12.16報告

※本書は、2005年の出版で、当時はかなり話題になった。社会学者北田暁大(1971-)の著書。出来の良いレジュメではないが、自分史をからめて丹念に読んだことで新鮮な手ごたえがあった記憶がある。 1.はじめに ▼「反省史」という規定この書物で、「反省」…

思想系読書会を振り返る

昨年の1月に報告して以来、久しぶりに読書会のレポーターを引き受けた。僕が参加しているなかでも、一番歴史のある思想系の読書会だ。30年近く断続的に参加しているが、うまくいかずに満足できないことが多く、そのために大いに悩み、工夫を凝らしてもきた。…

八重洲ブックセンターの閉店

八重洲ブックセンターが先月末で閉店したそうだ。1978年の開業というから、僕が高校二年生の時だ。それまで大型書店と言えば、新宿の紀伊國屋書店だった。5階建てくらいあったけれども、通り抜けできる構造のワンフロアは細長くて狭かった。 それに比べて、…

回転寿司の憂鬱

今年に入ってから、店内での迷惑行為(いわゆるスシローテロ等)がSNSで拡散され、回転寿司の利用客が激減したという話は聞いていた。しかしさすがに客足も戻っているだろうと、恐る恐る土曜の昼時に「くら寿司」を夫婦でのぞいてみたら、すんなり入れただけ…

村の賢人の新展開

先日、久しぶりに「村の賢人」原田さんのアトリエ兼作業場(旧馬小屋?)を訪ねたら、そこいらじゅうに見慣れない動物の墨絵が飾ってある。キリン、クジャク、サイ、サル、ワニと、バラエティに富んでいるだけではなく、今までの賢人の絵のタッチとまるでち…

晩年の高村光太郎

3月も、重要な作家や詩人の忌日を無為に見送ってしまった。ゴーゴリ(3月4日)、小林秀雄(3月10日)、とりわけ吉本隆明の横超忌(3月16日)と梶井基次郎の檸檬忌(3月28日)は、ここ数年追悼が根付いてきただけに残念だった。 今日は、高村光太郎の忌日。…

情報弱者の落札

正真正銘の情報弱者でありながら、ネットオークションだけは必要に迫られて利用してきた。せいぜい美術品とか古書ぐらいのものだが、「炭鉱札」(炭鉱の中だけで流通していた金券)や地元出土の鉱物を落札したこともある。 ところが入札参加の間隔がしばらく…