大井川通信

大井川あたりの事ども

わが信念

4つに絞る

昨年あたりから、ようやく自分なりの生活の地図を描くことができるようになった。昔から読書や考え事のときに図を使って考えることはしてきたが、それを自分の生活の指針とするまでには至らなかったのだ。 直接のきっかけは、定年による生活の変化とコロナ感…

近所を歩くということ

大井川歩きを自覚的に始めたころ残したメモがあるが、ベンヤミンの名前は出ていない。けれども、あえて名前をださなくとも、彼の考えや感覚は自分のみについてしまっているともいえるかもしれない。 過去のガレキの山の中から、過去の断片を拾い集めて救済す…

4年間、書き続ける

2017年の10月から、ブログを毎日書き続けている。実際には、記事が遅れることはあるのだが、日にちを空けずに4年分の投稿を続けてきた。ブログ自体はその年の1月から始めていて、何をどういうふうに書くのかで試行錯誤を続けてきたのだが、それが軌道に乗っ…

中心軸を探り当てる

コロナ肺炎の闘病で自分なりに覚悟が固まったと思ったが、退院後一か月過ぎたあたりから、(おそらくは)治療薬ステロイドによるドーピング効果が消えて、頭と身体の働きが鈍くなってしまった。後遺症の倦怠感や疲労の影響が、遅れて出たのかもしれない。 不…

勉強会とフィールドワーク(大井川歩きの方法論)

今月の勉強会のレジュメは、いつものようにこの一か月で書いたブログの記事から3つをピックアップして、A4二枚にまとめる。4月10日の「大井で『武蔵野』を読む」、4月19日の「幼児の記憶」、4月21日の「我が家の屋敷神」の三本の記事を選んだ。 手前みそだが…

作文的思考と読書会芸人

読書会というものがなかったら、僕の作文の量はかなり減っていたのだと思う。長い人生の中で、途切れることなく自分の作文を書き続けることができたのは、少数の友人・知人たちとの読書会や勉強会のおかげだ。 その淵源は、学生時代にさかのぼる。当時、学生…