大井川通信

大井川あたりの事ども

思索ノート

考えることと振舞うこと

読書会での報告が無事終わった。9月の終わりにこの話をもらった時には、ちょうど人生の区切りの時期だから、読書や思索の面での総まとめとなるようなことができたらと思っていたが、準備もはかどらず、とてもそんなふうにはならなかった。それでも、会のメン…

希望をもつ方法

次に最晩年の『歴史の概念について』からの引用。「人類は解放されてはじめて、その過去を完全なかたちで手に握ることができる・・・人類が生きた瞬間のすべてが、その日には、引き出して用いうる(引用できる)ものとなるのだ」 この原稿は、ベンヤミンが「…

ガレキの拾い方

ベンヤミンの勉強会の準備が難航している。少しでも自分なりのベンヤミンの理解を示せればという野心をもっていたが、僕がもっているのはそれこそ断片的なイメージに過ぎず、とても専門家の前に提示できるようなものではない。そもそも参加者が聞きたいのは…

『誰か故郷を想はざる』 寺山修司 1973

角川文庫版。表題作の初版は1968年に出版されている。 寺山修司(1935-1983)のエッセイを好んで読んだ時期があって、今回ベンヤミンの批評を読んでいるときに、不意に寺山修司を思い出した。それまでベンヤミンと寺山修司をつなげて考えたことなどなかった…

ナビと計画変更

ずっと使わなかったカーナビを、遠出の時に何回か使ってみた。なるほど便利だ。いまさらだが。機械の判断に従うのが嫌な気がしていたのだが、ナビの指示に従わずに走ると、ナビは冷静に経路を再計算、再判断して、その時点での最も「合理的な」経路を示して…

「機関車を見ながら」-芥川小論

『侏儒の言葉』が残念だったので、全集を引っ張り出して、晩年の短文にいくつか目を通してみた。経験上、芥川に関しては、こんな場合に満足のいく発見は期待できない。しかし、今回は、はっと目をひく文章を見つけた。 昭和2年の自死のあと発表された遺稿の…

『侏儒の言葉』 芥川龍之介 1927

子どもの頃から芥川が好きだった。学生時代は市立図書館で岩波の大判の全集を借りてきて読んだし、社会人になってから、版が小さくなった新しい全集を手に入れた。とはいえ、持っているだけで、きちんと読んだわけではない。 この岩波文庫の『侏儒の言葉』の…

『林達夫評論集』 岩波文庫 1982

久しぶりの再読。以前、林達夫(1896-1984)が気になって、何冊かまとめて読んだ時期があった。やはり、どの文章もそれなりに面白い。ただ、圧倒的にすごいという切れ味までは感じられない。もちろん、時代の文脈の違いと、そもそもこちらの教養や興味関心…

財布をもって追いかける

外国人の動画に、日本で財布を落とすと、それを拾った日本人は必ず落とし主に返すということを検証するものがあった。実際に、動画の主が人込みでわざと財布を落とすと、それを目撃した日本人は、素早く拾って落とし主を追いかける。まさに百発百中だ。 まあ…

歴史の救済

僕は、本を読みながらというよりも、街を歩いたり、車を運転したりしながら、自分の思い付きをじっくりと考えることが多い。 ベンヤミンレポートに備える作業も、ベンヤミンのテクストを読むというより、自分の中に残存して生きている彼のイメージを何度も反…

私は地理が好きだった

馬はたのしい。競馬も面白そうだ。動画を見ているうちに、競馬好きだった寺山修司のことを思い出して、そのエッセイを読み返してみた。そうして、以前、熱心に寺山の本を読んでいた時期があったのを思い出した。 文庫本は何冊もあるので、パラパラめくってみ…

『人新世の「資本論」』 斎藤幸平 2020

コロナ感染症で宿泊療養施設のホテルに隔離された時に持ち込んだ本の一冊。いわずとしれたベストセラー。今時マルクスの研究者の本が売れ続けているというのが不思議だったが、ようやく手に取って一気に読了し、その意味が納得できた。 とても良い本だ。読書…

『新世紀のコミュニズムへ』 大澤真幸 2021

読書会の課題図書。課題図書の指定のある前に、僕がすでにこの本を買って積読していたのは、やはりまだ大澤真幸という思想家に期待と幻想があったからだろう。 ところが、読み出してみると、これはとんでもない本だった。冒頭、コロナ禍の解決のためには世界…

『暴力批判論 ベンヤミンの仕事1』 1994

岩波文庫のベンヤミン(1892-1940)の評論集の上巻。1933年の亡命までの前半生の作品からとられている。来年1月の報告までのプロジェクトの柱として、とにかく実際にテキストをできるだけ読もうとしており、まずその第一冊。 こんな機会でもなければ、つま…

働く工夫から生きた平和の思想が生まれる

小林秀雄(1902-1983)は、「平和という様な空漠たる観念」をモデルにするのでなく、「自分の精通している道」を究めることが大切だという。観念や空想を嫌う小林らしい言い方だが、とてもまともなことを言っていると思う。 1月のベンヤミン論のために、今…

ハツカネズミたちの夢の行方

スタインベックの『ハツカネズミと人間』のオンライン読書会に参加して、思うところがあった。評論系の読書会だと、自分の読みが他の参加者と全く違うなんてことは当たり前だが、小説系だとそこまでのことはない。 日本人は、理論を語ると自分勝手な方向に行…

思想家を読む

学生時代に、哲学・思想書をかじってから、社会人として生活していく中で、細く、長く、乏しく、その読書を続けてきた。読書量自体はたいしたことはないから、むしろ時々立ちどまって、哲学・思想書が扱うような問題にあれこれ思いをめぐらしてきた、という…

ブログが追いつく

このブログを書き始めたのは、2017年の1月からだが、記事を毎日更新するようにしたのは、その年の10月からである。だから、今月でちょうど丸4年、毎日記事を書いてきたことになる。 当初はブログの仕組みや機能もよくわかっていなかったので、とにかく生真面…

『須恵村-日本の村-』 ジョン・F・エンブリー 1939

自分にとって、モノ・ヒト・コトバの三つの軸を束ねたものが「中心軸」となるだろうということを書いた。そのうえで、ここ5年以上取り組んでいる「大井川歩き」の実践が、その中心軸を生活の場において探っていくような試みだったことに気づいた。 ここでは…

『追憶する社会』 山 泰幸 2009

自分の中心軸に沿ってそれを明らかにする読書をしたいと思うが、その本を自分が心から楽しめるか、が一つの基準になる。民独学の本は、今までそれほど読んだわけではないのだが、読んだときは決まって楽しめたし、気になった本は買いためてある。 それで、積…

人はなぜ歩くのか

車の運転中、JRをまたぐ陸橋の車道の上からながめる景色に違和感をもった。陸橋の上からは、タグマの古い町並みが見渡せる。迷路のように入り組んでいるが、昔栄えた町らしく大きなお屋敷が並び、神社や小学校や造り酒屋があったりする。 その造り酒屋のレン…

『無痛文明論』 森岡正博 2003

コロナ肺炎の闘病中、痛みや苦しさを味わうことが、いろいろな要素をそぎ落としたあとの生きることの原形である、と思い至った。それを受け入れようと。 そのあと、自分の手元にあって読みかけていたこの本のことを思い出した。ちょうど読書会で森岡氏の新著…

ていねいに生きる

医療費の公的負担の手続きのため、市役所と家とを往復した。申請書への添付書類として、住民票と世帯全員分の課税証明書がいるために、妻の所得申告や子どもの委任状の作成など、少しハードルが高かったのだ。 退院の時に、早めに手続きしてくださいといわれ…

90年代の転回点(批評をめぐって⑤)

*勉強会レジュメの最後の部分。当時展開する余力がなく、メモでしかないが、そのまま引用しよう。15年経った今では、ここから先の認識こそが、言葉と行動の真価を問われるものとなっている。 【90年代の転回点-素描-】 ① 経済の凋落 バブル崩壊後の長期…

ナンシー関の戦略について(批評をめぐって④)

※ナンシー関の予言力について、彼女が亡くなって4年ばかり後の2006年に書いたもの。話題は、岸部四郎(1949-2020)。日本テレビ系列の朝のワイドショー「ルックルックこんには」の司会を、1984年から1998年まで15年に渡って務めた。「岸部が新司会者になっ…

80年代の外部なき社会(批評をめぐって③)

*80年代のイメージを、自分の好きなSF漫画や映画を使って楽しそうに論じている。北田の描く見取り図が確かな手がかりとなっていたからだろう。 【80年代の外部なき社会】 北田は80年代の理念型として、マスコミや資本という不可視の超越者に管理された…

70年代左翼と身体性の論理(批評をめぐって②)

*僕の思想的な出発点は、哲学・思想の古典でも、戦後思想の大家でもなく、北田のいう「70年代左翼」という中途半端な存在だった。このあたりに僕自身のマイナー感というか小粒感が現れてしまうのは、どうしようもない。 北田の本は難解でわかりにくいところ…

批判主義の帰趨(批評をめぐって①)

※これから引用するのは、北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』を読みながら、2006年の時点で、この30年ばかりの思想と自分とのかかわりを振り返る長いレジュメの一部である。 15年前、安部文範さんと始めたばかりの勉強会「9月の会」で報告したもので…

『共産党宣言』をめぐるあれこれ

白上謙一が『ほんの話』で、学生時代、この書に「感銘といっただけでは云いつくせない影響をうけた」と書いている。当時この本が「国禁」の書で、白上が陸軍大将や首相を務めた林銑十郎の甥だったというのは興味深い。 しかし、それ以上に関心をひくのは、こ…

幼児の記憶

映写技師の吉田さんが勉強会の席上で、子どもの頃の思い出について、こんな話をしたことがあった。たしか吉田さんが交通事故にあったときのことなのだが、まるで自分の身体から抜け出して見ているような情景を記憶しているというのだ。 吉田さんは、いろいろ…