大井川通信

大井川あたりの事ども

点鬼簿

人は化ける 組織も化ける

少し前のことになるが、とても温厚な上司に仕えていたことがある。当時、同僚に仲の良い冗談が通じる人がいたので、いろいろ冗談を言い合ってふざけていたが、その上司がタヌキに似ていることをネタにしたものがあった。 まじめでやさしい上司だったから、陰…

母の誕生日

今日は母の91回目の誕生日に当たる日なので、姉に電話をする。降ってわいた災難の日であるような命日よりも、子ども時代から何回となく祝ってきた誕生日の方がなじみ深い。それで姉と僕は、自然と両親の誕生日に連絡を取り合うことになった。 もう実家も手放…

ひろちゃんの旅立ち

少し前に娘さんから、ひろちゃん(吉田弘二さん)の容態が思わしくないとのメールを受ける。今年になってから、コロナ禍で訪問を遠慮していたのだが、この数か月でだいぶ体調が悪くなったそうだ。それでこのところ何回かお見舞いにうかがって、先週の日曜日…

不在の重さ

新型コロナウイルスで国が非常事態宣言を出してから、朝は次男を職場まで車で送るようにしている。4月から次男と職場がちょうど同じ方向になったこともあるし、やはり朝の通勤電車の方が混むというから、電車内での密集を妻も心配したためだ。 次男がすわる…

八ちゃんへの感謝

今日は、八ちゃんの命日だ。一年前の今日、八ちゃんは、大きなてんかんの発作に苦しんで、動物病院の診療台の上で亡くなってしまった。 その日の夜は、自宅でお通夜をして、翌日、動物霊園の斎場でお葬式をした。八ちゃんは小さな白い布団にくるまって、木の…

葬儀というもの

この年齢となると、いろいろな関係で葬儀に立ち会うことが多くなる。葬儀の間には、死者のことや、葬儀というものについて、思いを巡らすことになる。 信仰が薄くなっている時代には、葬儀というものの形式性が、どうしても気になってしまう。おそらく、人の…

父の誕生日

父の誕生日ということで、東京の姉にメールをする。 命日というのは、降ってわいた災害みたいなもので、当人にはあずかり知らない日付だ。死ぬことによって確定する日を、あらかじめ生きているうちに知ることはできないい。それならば、生前本人が大切に思っ…

ある哲学カフェにて

もう、4、5年ばかり前になるが、同じ街の古い街道沿いにあるカフェで哲学の勉強会にしばらく参加していたことがあった。 主宰は、ドイツ観念論の研究者で、予備校講師や大学講師をやりながら市民運動を続けている尊敬できる人だった。僕が参加し始めたとき…

ムラの長老たち

お正月に和歌神社を参拝したとき、拝殿の掃除をしていた組長さんご夫妻と話をした。一か月ばかりまえに、力丸ヒロシさんの奥さんが亡くなったという。 大正14年生まれのヒロシさんからは、ヒラトモ様やミロク様、大井炭坑のことなど、大井村の昔の様子を何度…

イノシシの伯父さんへ

伯父さんとお別れしてから、もう20年近くが経とうとしています。昨年に母が亡くなり、国立の家で暮らしていた二組の夫婦の全員が、この世を去ったことになります。二家族の子どもたちも、全員還暦前後となりました。 姉も実家を従兄にゆずることを決め、僕も…

平等寺の歌姫

田中好さんからメールがあって、ひさのの住人ハツヨさんが亡くなったという。ちょうど一週間ばかり前にお伺いしたときに、眠りの合間に少しだけ声を聞いたところだった。 ハツヨさんは、大正3年(1914年)の104歳。昭和初めの頃の村の盆踊りでは、声のよ…

仏壇のゆくえ

旧玉乃井旅館の安部さんの書庫には、亡き友人のためのコーナーがある。その小さな書棚には、考古学を専攻していたという安部さんの親しい友人亀井さんの形見の本が並んでいるのだが、僕は以前から、その薄暗い一角が仏壇のように思えていた。 仏壇というのは…

『先見力の達人 長谷川慶太郎』 谷沢永一 1992

経済評論家の長谷川慶太郎(1927-2019)が亡くなった。東西冷戦の終焉とバブルの崩壊の時代、この先世の中はどう動くのか不安になって、経済本を読み漁っていたときがあって、彼の本を読んだり、テレビで話を聞いたりしていた。 そのころ買って、読まずに手…

夏休みの詩の宿題

もう10年くらい前になると思うが、以前職場の同僚だった人から自分の子どもの夏休みの宿題の代作を頼まれたことがある。たしか間に誰かが入っていて、僕ならなんとかなりそうだということで話が回ってきたのだと思う。 仕方なしに、セミのネタで「夏の合唱…

追悼 イマニュエル・ウォーラーステイン

「世界システム理論」で著名な、歴史学者・社会学者のウォーラーステイン(1930-2019)が亡くなった。冥福をお祈りしたい。僕の学生時代には、すでに輝かしい名前だった。 手持ちの『史的システムとしての資本主義』を再読する。原著の元になった講義は、19…

河童忌に芥川龍之介の『河童』を読む

芥川龍之介(1892-1927)は、10代の頃の僕のアイドルだった。今も、唯一全集を持っている小説家である。だから、河童忌だけは、昔から忌日として意識していた。 芥川がアイドルだったというのが、僕の限界というか、いかにも自分らしい。漱石はもちろん、太…

桜桃忌に太宰治の『桜桃』を読む

今日は太宰治(1909-1948)の忌日の桜桃忌だそうだ。実家の比較的近くには太宰が入水したという玉川上水が流れているし、太宰の墓がある三鷹の禅林寺にも行ったことがある。 しかし桜桃忌を当日に意識したのは初めてのような気がする。ただ、意味記憶とエピ…

ムーミン谷の霊園

両親は、60代のうちに自分たちの墓地を購入していた。東京と埼玉との県境を過ぎたあたりで、JRと徒歩で行ける場所にあるから、当時でもそれほど安い買い物ではなかったはずだ。無神論者であるはずの父親のそんな振る舞いが、当時の僕には少し不思議な感じが…

いつも外を見とんしゃった

妻は博多の呉服町という下町の生まれだ。かつてミシン屋をしていた実家はもう取り壊されてしまったが、近所には間口の狭い商家が立て込み、大小のお寺が並んでいる。そんな町に育ったせいか、博多弁のなまりは強いほうだと思う。おかげで僕も影響されて、家…

ふるさとへ廻る六部は

伯父伯母の呼称というのは面白い。僕の両親とも戦前の人だったから、兄弟が多かった。年長の兄弟に対しては、赤坂のおばさん、誉田のおじさん、というように地名をつけて呼ぶ。年少の兄弟には、ふみ子おばさん、やすおおじさん、というように名前で呼んでい…

忌野清志郎の顔

衛星放送を見ていたら、忌野清志郎(1951-2009)の特集をやっていた。93年くらいに制作された番組で、インタビューやライブ映像などを取りまぜている。国立のたまらん坂の上で「多摩蘭坂」を歌い、国立駅北口で「雨上がりの夜空に」を熱唱する。 まだ少しく…

ハチの葬式

約束の午後1時に、もち山のクロスミ様の前の道を抜けて、山向こうの葬祭場に家族でむかう。ハチが悪さをしたとき、「もち山にすててイノシシに食べさせちゃうぞ」と妻が叱っていたことを思い出す。 葬祭場は、納骨堂や共同墓地を兼ねているので、休日のため…

ハチのお通夜

昨年のクリスマスの前に、我が家に迷い込んできた子猫のハチが死んだ。てんかんの発作を持っていたけれども、月に一度、何分間かで収まる程度だったので、獣医と相談して、ゆっくり投薬治療をしていけばいいと思っていた。 今回の発作は、一度収まったあとに…

ヤマシタキヨシさんの家

ヤマシタキヨシといえば、あの「裸の大将」だ、放浪の貼り絵画家だ、というのは、今の若い人たちにも通じるのだろうか。通じはしまい。人気テレビシリーズが終了したのは、20年前。その特別編として数作が放送されてからも、10年が経つ。せいぜいドラッグス…

井亀あおいさんのこと

10年前に小山田咲子さんの本を読書会でレポートした時に、夭折した若者の日記で公刊されているものを探して読んでみた。有名な高野悦子の本は再読だったけれども、初読の時と同じく、平凡であまり魅力が感じられなかった。 驚いたのは、それほど世間には知…

小山田咲子さんのこと

二年ばかり前、ネットが苦手の僕がたまたまブログの登録をしたときに、書き続けてもいいと思ったのは、以前に小山田咲子さんの書いたブログを読んでいたからかもしれない。 僕は、彼女が亡くなった後まとめられた『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛している…

輪島の訃報

大相撲の元横綱輪島(1948-2018)が亡くなった。記録を見ると、初土俵から3年半で横綱に昇進したのが1973年で、引退が1981年。ちょうど僕の中学、高校の頃が全盛期で、家族の影響もあって、相撲を一番見ていた時代だと思う。 父親はしぶい取組の大関旭国が…

はさみでチョキン

もう20年も前の話だが、とても気難しい上司がいた。そのうえ、ほとんど口を開かない。部下が書いたあいさつ文を読み上げるときなども、すぐに声が小さくなり後半はほとんど聞き取れなくなる。僕はほんの若造だったから、職場で彼との接点はまったくといって…

影絵の世界

母親の義弟にあたる叔父から聞いた話。 僕の父親が、勤務先のミシン会社の同僚だった叔父を1年間じっくり観察した後で、この人なら大丈夫と、母の妹の結婚相手に紹介したのだという。勝気の叔母は、私は家のある人でないと結婚しないと言ったそうだ。(ひょ…

挺身隊の思い出

母は、終戦前の一年ばかり、千葉の軍需工場で、女子挺身隊として働いていた。三菱の軍用機を作っていて、完成するとみんなで機体を送り出したそうだ。勤務期間中に、工場の疎開も経験している。 同僚なのか兵士だったのかは聞きもらしたが、地方出身の若い男…