大井川通信

大井川あたりの事ども

深夜の酒宴 椎名麟三 1947 

刑務所のようなアパートで、おじ仙三からの理不尽な責め苦に耐えて絶望を生きる須巻。収監者である住民たちは、困窮の中で、徐々に死にむかっていく。戦時中、挺身隊で働く工場の工員と付き合った(僕は自分の母からそんな思い出話を聞いている)という若い女加代だけは、そのむき出しの肉体でアパートの絶望にかろうじてあらがっているようだ。

戦争で橋の欄干の鉄材が供出されてしまったために、逃げ惑う多くの空襲の避難者が川に落ちて水死した、という細部の記述も今となっては貴重な証言だろう。

共産党員として逮捕され獄中で気がふれたという須巻は、「思想と名の付くものは、すべて愚にもつかないものですからね。・・・忘れた、それでおしまいです。そしてなぜあのときあの思想に自分はあのように夢中になっていたのだろうと不思議がるのがせいぜい関の山ですよ」と吐き捨てる。

しかし、今読むと、この壊滅的な敗戦をうけての透徹した認識が、すぐに忘れられて、50年代、60年代が政治と思想の季節となったことが不思議にも思える。僕にも聞き覚えがあるのは、そのあとの、例えば連合赤軍事件後の思想への鋭い懐疑の言葉だ。そして、以後思想への信頼は回復することはなかった。人間を思想から決定的に遠ざけるのは、絶望ではなく、飽食ということだろうか。