柳は、平易な新しい言葉で仏教を説くことの必要をとく。そして、念仏とは何か、阿弥陀仏とは何か、浄土とは何か、について現代人にも通じる本質的な説明を試みるのだ。
「少なくとも幾千万の霊(たましい)が、この六字で安らかにされたという事実を棄てることは出来ぬ・・・たとえ昔のような形で称名が興らずとも、何らかの形でそれが甦ってよい。」
こういう捨て身の姿勢が、浄土門の思想の精髄をすくい取って、火のような言葉で語りつくす。法然、親鸞、一遍のトライアングルがなしえた達成は、簡明にして本質的だ。
柳の本は、宗教について、人間の生の根源について、考えることを強く誘う。しかし、既成教団の宗教者たちは、柳の危機感を十分に受け継いできたのだろうか。