大井川通信

大井川あたりの事ども

村里の恐怖

ムツ子さんは、大井村で庄屋を務めた旧家にお嫁に来た。屋敷の裏手には、大きな銀杏の木があり、根元に扁平な大きな石が立ててある。イシボトケ様と呼ばれ、先祖の山伏をまつっているという。冬になると、銀杏はすっかり黄色い葉を落とし、それが屋敷の前の道を敷き詰める。近所から苦情があるのだと、ムツ子さんは、腰の曲がった身体で毎朝落ち葉をひろうが、とても追いつかなくなった。

神様の銀杏の枝は決して切ってはならぬと、言い伝えられている。しかし、高齢のムツ子さんに大木の管理は限界だった。かつて親戚一同でイシボトケ様にお参りした行事も今はなく、山伏のいわれを知っているのも彼女だけになった。大井川はせき止められてダムとなり、里山は削られて住宅で埋め尽くされた。

とうとうムツ子さんは、銀杏の木を切ることを決意する。寺の住職にお経を読んでもらってから、剪定業者の手で銀杏は半分くらいの高さになり、枝も取り払われて小さなまるぼうずの姿となった。これが春の4月のことだった。

大井村の田んぼの真中には、村の名前のいわれとなった泉(水神様)の脇に、一本松が立っている。この木にも触るとたたりを受けるという言い伝えがある。ところが、この立派な神木が、この年の夏の8月の台風で太い幹からぽっきり折れて倒れてしまった。同じころ、ムツ子さんも家の中で転んで大けがをしてしまい、それから入院生活を続けている。