大井川通信

大井川あたりの事ども

聖地巡礼(黒住・金光編)

黒住教の本部は、岡山市郊外にある。桃太郎で有名な吉備津神社に近い小高い山の上だ。中腹の駐車場に車をおいて、教団の施設の脇の石段を登っていくと、深い森の中に大きな神殿があった。多くの信者が集えるように内部は広く、縁と軒が大きく四方に張り出しているのは、真宗の仏殿のようだ。しかし屋根は薄くのびやかであり、中央には神社風の急こう配の切妻屋根をすえて、神の居所を示している。この特異な形態は、倉敷の街づくりを支えた建築家浦辺鎮太郎(1909-1991)の設計によるものだ。神殿の裏手の石段をさらに登ると、日拝壇があって、ここで毎朝日の出を拝むのが大切な宗教行事となる。標高120メートルというから、地元のクロスミ様からの眺めとまったく同じだと思った。

日曜なのにあまり人気はなく、森閑として歴史ある聖地のようだ。実際は、戦後岡山の市街地の開発を逃れ、日の出を拝むのにふさわしい場所を求めて移転したらしい。やむを得ない事情だろうが、開祖黒住宗忠が行った人々のただ中での「陽気な」教えのイメージとは、ややそぐわない気がした。

一方、金光教の本部は、岡山県の旧金光町(現在は合併で浅口市)にある。川と山とが迫るかなり手狭な場所であるのは、幕末に農民だった開祖が立教した土地だからだろうか。もちろん本部内はきれいに整備され、二つの大きな会堂が威容を示してはいる。金光町出身の早大教授田辺泰(1899-1982)の設計によるもので、こちらは西洋の神殿のようなシンプルな建物の上部に神社風の屋根をのせた形状である。驚いたのは、本部の周辺に狭い路地が残り、古い民家が建て込んでいることだ。それが開祖の出自を反映しているようで、好ましく思える。駅からの参道も、ひなびた駅前商店街のようだ。

「昔は電車のお参りが中心でこの店でも一度に200人くらい泊めたけれど、今はバスの日帰りで人が寄らなくなりました」と、酒屋のおかみさんの嘆きを聞くこともできた。