大井川通信

大井川あたりの事ども

柿喰う客フェスティバル2017 「無差別」

劇団「柿喰う客」の旧作上演のフェスティバルで、「無差別」の再演を観る。面白かった。主宰の中屋敷法仁の才能と劇団の力量に、文句なく圧倒された。

やや前傾した円形の小さな舞台の上で演じ、踊るのは、黒いシンプルなコスチュームをまとった7人の女優だ。たったこれだけで、劇団の売りである「圧倒的なフィクション」が瞬時に立ち現れ、日本近代の時空を縦横無尽に駆け回ることになる。

戦前の村で、犬殺しとして差別される男と、それゆえに汚れを避けて育てられる美しい妹。妹を母親と慕う子犬。山では樹齢千年のクスノキが、元は怨霊の神である天神様の後ろ盾で、村の守り神として君臨している。仲間からイケニエにされかけたカタワのモグラが、知略によってクスノキを倒して山の神にのし上がり、一方、クスノキは恨みを抱いたキノコに化ける。モグラの神の求めに応じて、村人は盲目の舞いの名手を呼び寄せるが、モグラは彼に恋して、神の地位を追われる。

こういう差別と情念が入り乱れた村に、原爆によって黒い雨が降り、あらゆる人間も生き物も神も「無差別」に傷ついてしまう。一方、戦争から命からがら帰ってきた犬殺しの男は、新憲法が「無差別」に保障する人権に愕然とする。戦後の科学技術と民主主義の「無差別」の神に背を向けて、傷ついた兄と妹は、また別の世界を作るために国産みの神話を力強く反復しつつ、舞台は閉じる。

実は5年前初演を観たときには、差別の問題や激しい情念の表現に少しとまどってしまい、かんじんのモチーフを受けとめ損ねていた。しかし、その後、地元の大井川歩きを続ける中で、この社会にとって、共同体の神々から近代の神への転換が、今でも大きなつまずきの石であると気づかされた。このことに真正面から向き合うには、言葉とエネルギーの過剰が不可欠なのだ。日本近代に拮抗する物語を作り上げ、それを魅力的な舞台に仕上げた「柿喰う客」には、今はリスペクトの気持ちしかない。