大井川通信

大井川あたりの事ども

同姓同名の会

僕の名前はそれほど珍しいものではないと思うのだが、氏名の組み合わせでいうと、全国に多くいるわけではないようだ。ネットの検索をかけても、同姓同名の人は、せいぜい三、四人しかでてこない。

そのうちの一人は、もうだいぶ以前に亡くなっている人だ。大正2年の朝鮮総督府の官報に、裁判所書記として任用された記録が残っている。その17年前の明治29年に台湾総督府の記録で、郵便電信通訳生兼書記として任用されている同姓同名の人もおそらく同一人物だろうと思う。海外の植民地で下級官吏としての人生を送った人なのだろう。僕もたまたま同じような職業だから、こんな小さな記録にしか残らない仕事にも、それなりの苦労や様々な喜怒哀楽がつきまとったことを想像できる。

名前など、偶然につけられた記号にすぎない、といえばいえる。同姓同名の人とも、直接には何のかかわりもないはずである。しかし、僕という人間の独自性を端的に示すのは、何十万回も呼ばれ続けているこの名前以外にはない、というのも事実だろう。後の諸々の属性は、他と似たり寄ったりの平凡なものに過ぎない。彼にしても、この事情は同じはずだ。だから、名前という回路で混線が生じて、およそ100年ぶりに召喚されてしまったのだ。「今頃何の用ですか俺に」と眠い目をこすっているかもしれない。僕もあなたと同じ〇〇△△ですといえば、きっと驚いて許してくれるはずだ。

こんなことを考えていたら、偶然新聞記事で、同姓同名の会というのが話題になっていることを知った。田中宏和という名前の人たちが集まって、同姓同名が一堂に会するギネス記録を作ろうとしたらしい。記事からは彼等の親密さが想像できて、ちょっとうらやましい気がした。