大井川通信

大井川あたりの事ども

詩人村野四郎のこと

鹿は 森のはずれの/夕日の中に じっと立っていた/彼は知っていた/小さな額が狙われているのを/けれども 彼に/どうすることが出来ただろう/彼は すんなり立って/村の方を見ていた/生きる時間が黄金のように光る/彼の棲家である/大きい森の夜を背景として (「鹿」村野四郎 )

 

村野四郎(1901~1975)は、僕の子どもの頃にすでに教科書に載っている詩の大家だった。大学生になって思潮社の「現代詩文庫」などを読むようになると、古臭い前時代の詩人のような気がして、素直に好きといえないようになった。しかし、その後の長い時間の中で時々でも読み続けられたのは、本当に好きな村野の詩だった。

今年になって、仕事の会議で同席した人と話していたら、村野四郎が好きだという。府中市にある記念館の手持ちのパンフをプレゼントしたら、とても喜んでくれて丁寧な礼状までいただいた。村野は東京多摩地区で僕の隣町の出身だ。

先月、読書会のメンバーで旧知のTさんが、村野のファンであって、詩集『亡羊記』を英訳出版したばかりであることを知った。彼は英語で詩や小説を発表する、現役の詩人である。「詩論がまたいいんです」「ノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)ですよね」

アマゾンで手に入れると、見開きのページに横書きで日本語の原詩と英訳が並んで読める、小ぶりの瀟洒なペーパーバックだ。アンソロジーでなく、実際の詩集の翻訳なのもいい。好きなものを好きだと、野蛮なまでに押しとおすこと。僕には欠けがちな情熱だけれども、何かに手を届かすのはそれだけだろうと、今頃になって気づくことが多くなった。