大井川通信

大井川あたりの事ども

引揚者と米軍ハウス

終戦後、博多港には、海外の一般邦人140万人が満州朝鮮半島から引き揚げてきた。博多の街中の聖福寺境内には、引揚者のための聖福病院と、医療孤児収容所の「聖福寮」が作られて、多くの孤児たちが看病を受けたということを最近知った。

聖福寺は、日本最古の禅寺と言われ、その伽藍は京都の禅寺に負けない風格を持つ。何より参詣のたびに、妻から境内にある花園幼稚園に通った思い出をよく聞かされていた。しかし、どうやらそこは引揚者のための施設を出自にもっていたことになる。

僕の実家の前には、数十軒が建て込んで狭い路地が縦横に走る都営住宅があった。引揚者も入居していたと聞いた記憶がある。同じ敷地で育った五歳年長のいとこのケンちゃんにその話をすると、引揚者がいたことは知らないという。一方、板塀を挟んだ実家の隣に、米軍のハウスのような家があって、外国人の家族が住んでいたことを教えられて、こちらがびっくりすることになった。僕が覚えているのは、そこが空き地になった後の姿だ。

隣町の立川飛行場に米軍が入っていた時には、米兵の住むハウスが多くあったと聞いてはいても、実際に自分の目で見ていないものは、存在しないことにしてしまいがちだ。目障りな事実を無くしてしまえば、戦争に関して、どんな単純な議論も可能になるだろう。