大井川通信

大井川あたりの事ども

古建築は大地にうずくまる甲虫である

普門院の境内に入ると、そこには不穏な空気が漂っていた。石灯籠は倒されて、池の水は干上がっている。本堂に上がる石段は、大きく波打っており、大樹の切り株ばかりが目立っていて、造成地のようなガサツな雰囲気になっている。

7月の九州北部豪雨のために、裏山から境内に土石流が流れ込み、重要文化財の本堂にも縁の下が土砂に埋まる被害があったそうだ。現在は、境内の土砂は撤去されたようだが、重機での作業のためか大木も多く切られており、いっそう荒れ果てた印象をうける。
そんな中で、鎌倉時代建立の本堂は、老いた甲虫のようにうずくまって、この事態に耐えている様子だった。三間四面(柱間が三つの四面で正方形)の典型的な小堂だが、前面一列に吹き放しの柱が立って、向拝(正面の庇)を支えている。禅宗様のような細かい意匠はない和様の建築だが、単なる仏像の容れ物ではない、建物それ自体の強い存在感がある。近世以降の小堂には感じられないこの感じはどこからくるのだろうか。
一目でわかるのは、小堂に不釣り合いなほどの木割(柱)の太さ、組物や縁側などの材の大きさ、厚さである。また、宝形造のシンプルな屋根の本瓦葺きの重厚さである。これらの素の部材が、それぞれ時代を感じさせる表情を見せて、命あるものの存在感を示している。禅宗様が細かい部材の繊細な組み合わせで建物に生命を通わすのとは、また別のアプローチだろう。
優れた古建築は、大地にうずくまり、また伸び上がる甲虫のようだ。この印象は、中学生の頃初めて寺院めぐりした当時から、ずっと変わらない。