大井川通信

大井川あたりの事ども

興国寺仏殿 福岡県福智町(禅宗様建築ノート2)

念願の禅宗様についての文章を書きはじめることができたので、地元では貴重な禅宗様仏殿に立ち寄ってみた。なだらかな傾斜地の奥の山懐にある曹洞宗の寺院で、なんど訪れてもロケーションはすばらしく、参拝の途上、伽藍を遠望できるのもいい。禅寺としての格式もあり、おそらく建物の印象も何割増しかになっているだろう。一目で禅宗様とわかる仏殿で気持ちが高まるが、やはり僕にとっては疑似禅宗様体験ともよぶべきもので、感動が薄いのは否めない。江戸期(享保4年 1719年)の建立で、様式は簡略化されて、プロポーションも明らかにぎこちない。江戸時代に伝来した禅宗の一派黄檗宗の建物に雰囲気が近い気がする。

しかし、この仏殿の長所は、禅宗様仏殿の正規の姿といわれる、裳階(もこし)付の二重屋根という形式を守っていることだ。銅板葺の屋根は、裳階部分の下層はなだらかだが、上層は四隅がピンとはったように軒ぞりがついて、正面から見上げると、鳥が羽ばたくような飛翔感を味わえる。ダイナミックな内部空間を構築する意匠の多くは省略されているが、それでも土間から立ち上がる柱にそって縦方向に意識が向かう堂内は禅宗様ならではだ。堂の形式と規模の近さから、国宝正福寺地蔵堂などの本格的な禅宗様の姿を重ねてみる(髣髴とさせる)ことが可能なのだ。

にもかかわらず、この仏堂そのものを見たときには、軒下のまばらな垂木や簡素な組物、細い柱や間延びした壁面に興ざめしてしまう。メカニカルで精緻な組み立てによって独自の生命感を生み出しているかという点では、残念ながら禅宗様の魂は入っていないと言わざるを得ない。図面を見ると、8メートル四方の国宝正福寺地蔵堂に比べて、10メートル四方と一回り大きいことに驚く。いかに正福寺が複雑な意匠をコンパクトに凝縮しているかがわかるし、一方の興国寺がどうにもスカスカな印象なのもやむなしか。

とはいえ、享保からの風雪に耐えてきた仏殿には、それなりの風格がある。再来年は、建立300年の記念すべき年だから、僕もひそかに何かお祝いをしたいと思う。