大井川通信

大井川あたりの事ども

木を倒す話

正月も特別な休みのない次男を、暗い中、駅まで送る。ついでに早朝の大社に初詣に寄った。駐車場は早くも車がごった返しているが、列をつくるほどではない。例年よりなぜか夜店が少なく、北海道から来る名物女将の「東京ケーキ」が店を出していないのが気にかかる。

帰りファミレスに寄って、新年の計画など立てていると、大井村の賢者原田さんが朝食を食べに来店した。賢者もこんな店にくるんですね。週に一回くらいくるよ。そして、期せずして、新年会となった。

賢者が用務員をしている幼稚園で、園庭の隅の一抱えもあるカシの大木を切り倒したそうだ。倒れるとき、どしんと予想外に大きな音がして、地響きが身体を貫いたという。遠巻きにしていた園児もそれで跳びあがった。すでに枯れ木になった大木が持つ法外な重量。自然の「存在」を知るとはそういうことではないか、と賢者はいう。たいてい人は、自然を風景の書割くらいに思っていて、大木がなくなっても気づきもしない。

そういえば、と賢者。Hさんが大けがしたの知ってる? Hさんは、村の旧炭坑の労務課長のお孫さんで、ずいぶん前から聞き取りでお世話になっている。半年前にもお祖父さんの経歴などを教えてもらったばかりだ。村の共有林での伐採作業中、倒れた木が跳ね返って首を直撃したという。もう3か月入院したきりだそうだ。僕は、几帳面に自家菜園の手入れをして生活を楽しむ様子のHさんの姿を思い出した。自然の「存在」は、時に人間に容赦ない暴力となって現れる。