大井川通信

大井川あたりの事ども

就職という通過儀礼

長男が赴任地から帰省したら、ずいぶん素直になっていたと妻がいう。たしかに笑顔が多くなっているが、その顔は少し自信なさげにも見える。雰囲気で言うと、中高生ぐらいの面影に戻っているようだ。彼自身も就職した友人に久しぶりに会ったら、幼くなったように感じたと言っている。大学4年間で積み上げてきたものが突き崩されて、社会人としてゼロからもがいている証拠だろう。

教育の世界でも、小1ギャプとか、中1ギャップとかいう言葉が聞かれる。幼稚園の年長さんとして自覚をもっていた子どもたちが、小学校では一番の弟妹だから赤ちゃん返りをしてしまう。それだけでなく新しい環境に適応できずに不登校になる子どももでてくる。取りこぼしが許されない義務教育では、このギャップをできるだけ滑らかにする施策がとられてきた。就職におけるギャップについても、キャリア教育が中学校から取り入れられ、大学も今では就職予備校の様相を呈している。

そんな配慮がない時代だったから、僕の就職ギャップは悲惨なほど大きかった。当時は、企業の長期研修で学生根性をたたきなおすというスタイルだったが、不器用な僕は結局、20代いっぱいをこのギャップの調整に費やすことになる。ひょっとすると、まだ調整がうまくいっていないのかもしれない。

しかし古い自分が壊されて、もう一度身体を張って自分を作り直すという体験は、悪いばかりではないだろう。素直さや無邪気さ幼さというものは、習慣化された記号の体制を打ち破って、新しい現実に精いっぱい身体を開いている徴候だと言える。

ともあれ、画一的な通過儀礼に全員が歯を食いしばるという時代でなくなっているのは確かだ。長男の知り合いでも早くも仕事を辞めて、再就職の活動をしている人が何人かいるという。次男の職場でも入社1ヶ月で辞めてしまった同級生がいる。親としては、子どもたちが壁を超えるのをただ見守るしかないところだ。