大井川通信

大井川あたりの事ども

『雨・赤毛』 モーム短編集 新潮文庫

◎『雨』

キリスト教の罪悪や恥辱の観念の本質が、宣教師デイヴィッドソン夫妻の言動を通じてえぐられる思想劇。南洋の現地人の文化や奔放な若い女性トムソンに対して、かれらは信仰において容赦ない。南洋の洪水のような雨の「原始的自然力のもつ敵意」を前に、それは一層先鋭化する。

衝撃的ではあるが、予想がつくような結末は、理性が肉欲に負けたという簡単な話ではないと思う。身体存在である人間が、理性的な信仰を極限まで推し進めたところに生じる矛盾であり、必然の過程という気さえする。

「罪人」トンプソンに徹底して寄り添う覚悟をしたデイビッドは、彼女の「悔い改め」を理想化したために、肉体的な一体化を招いてしまう。宣教師は自己処罰によって肉体を脱ぎ捨てて、さらなる精神の高みへと向かったかもしれないが、残されたトムソンは一夜で元のあばずれに戻ってしまった。

◎『赤毛

サンゴ礁に囲まれた小島の奥のクリークに隠された家に、運搬船の船長が訪れる。でぶで禿げ上がった大柄な船長は、周囲では変わり者で有名な主人のニールセンから思い出話を聞く。25年前に死期を宣告されて島に渡ってきた彼は、現地の美しい娘サリーに出会う。彼女は、脱走兵の美青年レッドと相思相愛の恋愛をしていたが、レッドが捕鯨船に連れ去られたために、途方に暮れていた。ニールセンはサリーを愛するようになり、なんとか結婚にこぎつけるが、彼女の心をレッドから奪うことは出来なかった。

書物とピアノを愛するニールセンは、レッドとサリーの純粋な恋愛の美しさを夢想し、サリーの愛を自分のものにすることをあきらめた後も、その美しい夢想が、彼を島と彼女とにつなぎとめていた。「すべて遠い昔の夢になった今でも、俺はあの若い、美しい、純粋な二人とそして二人の彼らの愛を思う度に胸の疼きを感じるのだ」と。

しかし、目の前の醜い中年の船長がレッドを名乗り、しかも老いたサリーとの再会にもお互い何の関心も示さないのを見て、ニールセンは衝撃を受ける。そして島を離れようと考える。これもまた、人間をとらえる観念の倒錯を鮮やかに描いた思想劇といえるだろう。

△『ホノルル』

船長が地元民の航海士から恨みをかい、呪い殺されそうになるが、地元の恋人の呪術によって救われるという話。ホノルルの街の様子は面白いが、かんじんの呪術の描写はあまり魅力的でない。政治家同士の憎悪と不可解な呪法を描いた『マウントドラーゴ卿』の方がよほど怖い。