大井川通信

大井川あたりの事ども

小ネタ集(賽銭、炭鉱、ドット)

知り合いに地元の小さな神社の総代をしている人がいる。富岡八幡の事件以来、賽銭が少なくなったと嘆いていた。僕も、あの事件で神社の莫大な利益をめぐる神主一家の骨肉の争いを知ってから、初詣のわずかな賽銭すら出す気持ちを無くしてしまった。そんなへそ曲がりは僕くらいかと思ったが、みんなも同じように考え、ふるまっているのか。人間が同じように作られ、同じように考えるように仕向けられていることに、今さらながら気づく。傷つく。

テレビで、戦後の経済史を扱う番組を見る。傾斜生産方式に石炭産業。冒頭で、おそらく旧炭鉱らしき街が、一瞬画面に映る。陸橋から見下ろす何の変哲もない街の風景。遺跡らしき物も、特徴ある施設や店も見当たらない。しかし、それが旧三菱新入炭鉱の風景だと直観する。そして実際にその通りだった。10年ばかり前、地元の炭鉱跡を熱心に探索していたことがある。そのときの風景が記憶が刷り込まれていたのだろう。

これもテレビで、後天性サヴァン症候群の人たちの証言を聞いた。頭部の外傷をきっかけとして、芸術的な才能などが目覚める症例だという。事故後すぐに、絵や音楽や図形などを熱心に描きはじめる。世界が、点や線や図形としても見えてしまうのだそうだ。それを外部に取り出す作業に没頭し、そこに自分らしさを感じるのだという。僕には、そんなドットやラインは見えない。しかしうっすらとした何かの感触があるような気がして、それを取り出してみたいと、ひそかに思う。願う。