大井川通信

大井川あたりの事ども

グリコのおまけ

もうだいぶ前に亡くなった知人で、太平洋戦争の戦場で戦友のほとんどが戦死する中、生き延びた経験をもつ人がいた。彼は、残りの人生を「グリコのおまけ」と表現して、それは他人のためにささげるのだと公言していた。そこまで極限の経験がなくとも、戦中派の人たちは、自分の人生を方向付けるものとして戦争を受けとめていたと思う。大正13年生まれの評論家吉本隆明は、思想の原則ををそこから動かさなかったし、身近では同年生まれの僕の父親も、生活信条において一貫していたと思う。

「戦争をしらない」世代の中でも、学生運動の経験を、自分の人生の糧としている人もいた。僕は、そのあとの新人類と言われた世代に属していて、学生の頃には、もう政治の季節は終わりを迎えており、豊かな消費を中心とした社会が成立しつつあった。その後、東西冷戦の終結バブル崩壊や震災等があったけれども、社会も世代も大きな曲がり角や節目を経験せずに、現在までやって来た気がする。それは幸せなことだろうが、自分の人生を大きくつかみなおす機会を持てなかったことも意味する。

先日、ヒトの寿命は本来55歳程度だという学説を知った。根拠は、この年齢あたりから癌(DNAの複製エラー)による死亡が急増することだという。55歳以降の人生は、公衆衛生や栄養状態の改善や医学の発展という「文明がもたらした生」なのだ。僕は、ちょうど本来の寿命を超えたあたりなのだが、身体の様々な衰えという実感によって、この学説の主張に納得してしまうところがある。

しかし、だとしたら、残りの人生を「グリコのおまけ」として、自分のためだけでなく生きるという方針転換ができるのではないか。この絶好の機会を逃すべきでないだろう。